善意の境界線 | 痛みの専門店 整体salon たまゆら

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整体屋中楠です☺︎

昨日、友達達と議論というかちょっと話になって。

昨今のニュースで、どこかの県で、高校生が電車内でタバコを吸っている人に注意したらめっちゃボコられたニュースについて。

ネットでも話題になってたけど。

友人の1人は、「誰も止めに入らんなんて絶対におかしい!この子が大人不審になったらどうすんの!?」と憤ってて。

もちろんその通りだと思う。正論。普通に考えて、誰かが酷い目に遭っていたら止めるべきだと思う。

で、よくよく話を詰めていくと、このタバコ吸ってた人。情報が間違ってたらごめんだけど、28歳で飲食店勤務、優先席に寝転がってタバコ吸ってたって聞いて。この時点で、もう普通の人じゃないよね。

仮説として、このタバコ吸ってた人がめっちゃ怖そうな人だったから、誰も止めに入らなかったんじゃない?と僕は提言して。

それでも、友達は納得いかないらしく、信じられん!と言った様子で。

僕は渋谷のど真ん中で道極め人に車で轢かれた事があって。

20分くらいだと思う。大渋滞。僕は自転車で跳ね飛ばされて、後々右腕が折れてた事がわかったんだけど。

道極め人は免許証出せだの拉致るぞなどの賜ってて、僕ははじめての事故プラス、絵に描いたようなオモシロ状況によくわかってなくて。

結局逃げられたんだけどね。

その時、痛烈に体験したんだけど、渋谷のど真ん中の交差点。大渋滞。だけど人っ子一人助けんにこんのな(笑)

まー相手が相手だから、それは仕方ないってその時も思ってたんだけど、せめて警察か救急車に電話ひとつ入れてくれる人がいてもよかったんじゃないかな〜と思うんだけど、自分に降りかかる少しのリスクを考えると、やっぱり我関せずも仕方ないか〜と。

おもろいもんで、2回目に普通の一般人に轢かれた時は、皆さん秒で通報してくれたから、人の善意ってそうだよな、と思った。

今回の喫煙の話にしても、その人がモヤシみたいな人だったら、一発で抑えられると思うんだけど、やっぱり人をみて人は動くからね。それは仕方ない。憤る人がいるのもわかるけど、じゃあ、相手がマシンガン持ってても注意しないのは悪なのか?みたいな話にもなってくるしね。極端にいうと。

現実は、人の善意というのは、自分のリスクと天秤にかけての行動だと思う。

例えば、ボコられてるのが友達や親兄弟だったら止めに入るかもしれないけど、やっぱり全くの他人とは距離が違う。それはもう人間だから倫理やらなんやらを超えてそういうもんだと思う。

だから僕は、基本的に善意は、自分のやれる範囲で目一杯やればいいと思う。僕で言うと、これ以下のお釣りは寄付するとか、気まぐれに落ちてる吸い殻拾って捨てるとか、そんな程度だけど。

ただ、自分の善意の幅を他人に強要する考えはは好きじゃない。これが意外といる。人は、自分が正義だから、そうしてしまうのもやむないんだけどね。だけどそれをしてしまうと、どうしても争いの種になる。自分の価値観の盲信は危うい。

って言う話を仲間内でしてて、今日書きたかったのは前置きが長くなってしまったんだけど。

類して逆に。ハンマーを持って襲っていた暴漢から女性を助けた2人組が警察に表彰されてて。我関せずの人たちもいれば、勇敢にそうやって助ける人もいるんだね〜って話になって。友達にそのニュースのソースと写真を送って貰ったんだけどね。

それが、多分土方の方だと思うんだけど、メチャクチャゴツくてイカつい兄ちゃん2人組が表彰されてて(笑)この2人になら暴漢もボコられるわな〜って感じで。

改めて、自分の善意の及ぼせる範囲は人によって様々だから、自分が出来て人を助けられるならやれるだけやろうくらいでいいんじゃないかな〜とは思う。無理のし過ぎは歪みを生む。