少し昔の阪急電車(その5、5200系・5100系・5300系) | 青春の1ページ航空機等撮影記録~since2019 New Edition~

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今年もこれから暑い時期になる・・・

今週末も天気は良さそうですが、相変わらずネタとなる機体の飛来はなく(ソラシドに未撮影の空恋がいるのですが、火曜日にセントレアから宮崎へフライトした後、飛んでいない模様)、どうやら買い物程度の外出ということになりそうです。そして、今年もまた1つ年をとる恒例のイベントが月曜日にやってきますが、ここ数年は休暇を入れていて今年も同じように考えていたところ、残念ながらお流れに・・・。何年かぶりに出勤ということになってしまいました。

 

さて、本日の記事も継続して続けている「少し昔の阪急電車」シリーズです。今回掲載するのは5000番代の系列の残り3種類です。このシリーズはまだ数回続くことになるのですが、久々に航空機ネタの準備もしておりますので、今後は並行しながらアップしていくことになりそうです。

 

5200系5201F

1997年頃 稲野~新伊丹間

 

伊丹線で運用中の5200系5201Fの4連です。5200系は阪急初の冷房付車両として、1970年から1971年までの間に25両が製造されました。車体は5000系をベースとしており、電装品も5000系と同一となっていますが、冷房装置を搭載し、天井内にダクトを通す必要があったため屋根が少し高くなり、上部が尖った形状になっているのが特徴です。このため、前照灯と貫通扉の間の間隔が5000系や5100系以降と比べると少々広くなっています。台車は5000系同様のS型ミンデンですが、冷房搭載に伴う重量増加に対応し、車輪の軸受径を広くし、空気ばね容量を増加させたタイプになりました。この台車はその後8000系・8300系まで長く使用されました。登場以降神戸線で使用され、当初は神戸高速・山陽電鉄への直通運用を中心に充当されました。なお、5000系との併結運用もあったほか、最初に登場した5200Fはデビュー直後に宝塚線での運用実績があります。6000系や7000系が増備されると、本線の特急・普通や今津線での運用が中心となりましたが、種別・行先表示幕の設置は見送られました。1990年代以降は専ら支線用となり、今津(北)線と伊丹線で運用されましたが、試作的要素が強く製造数も少なかったため早期淘汰の対象となり、2000年までに全車廃車されました。この5201Fは1970年製(中間T車の5751は1971年製)で、1980年代後半には6連化され今津(北)線用となり、さらに1991年に4連化され伊丹線用となりました。阪神・淡路大震災の際には3159Fとともに伊丹駅で被災しましたが、修復の上復帰しています。5200系では後述の5230Fとともに最後まで残り、1998年に運用を終了、平井車庫での長期留置を経て2000年に廃車されました。

 

5200系5230F

(上)1995.3.9 宝塚~宝塚南口間 (下)1997年頃 宝塚~宝塚南口間

 

今津線の武庫川橋梁を渡る5230F。この編成は全車(中間T車は除く)が1970年製で、中間には2000系・2071系・2800系のT車をつないで運用されました。1990年頃に6連となり今津(北)線用となり、こちらも5200系としては最後まで残り、5201Fと同様に1998年に運用を終了、平井車庫での留置を経て2000年に廃車されました。なお、中間に連結されていた2000系2052と2071系2091も同時に廃車となっています。

 

5100系5128F

1994.1.28 石橋(現:石橋阪大前)駅

 

宝塚線の普通列車として運用されていた5100系5128Fです。5200系の運用実績をもとに本格的な冷房搭載車として登場し、1971年から1979年までの間に90両が製造されました。冷房車を各線に均等配置するため、神戸・宝塚・京都の全線での運行を考慮したものとなっており、それまで異なっていた電気機器と空気機器の配置が、この形式から京都線仕様のものに統一されています。主電動機は10両編成での運転時に電動車比率が高くなる場合を想定し、140kWと5000系・5200系よりは少々低くなっています。冷房装置は5200系と同じ8,000Kcalのものを搭載しています。また、パンタグラフは阪急初の下枠交差式のものが採用されました(途中から1両に2基搭載へ変更)。登場当初は各線に配置されましたが、最終的には全車が宝塚線に集結して運用されました。1986年から1993年にかけて種別・行先表示幕の取り付け改造が行われ、2001年から一部の車両に更新工事を施工、また2004年から2005年までの間に8連2本がリニューアル工事(側引戸ガラスの大型化、クーラーキセの更新、内装化粧板の更新等)を受けました。このほか、5000系へのリニューアル工事施行に伴い本系列のうち17両が5000系に編入されたほか、2015年から2016年までにかけて24両が能勢電鉄に譲渡されています。2023年12月現在では34両が在籍し、8連3本が宝塚線、4連2本が箕面線で運用されています(残り2両は休車)。この5128Fは1971年から1977年までに製造され(5120,5121,5670が1971年製、5128,5129,5678が1972年製、5681,5683が1977年製。いずれも当時の車番)、1987年頃に表示幕化されました。2005年にリニューアル工事を受け、この時に5120と5129がT車化され、それぞれ5770,5779に改番されています(M車は他編成から5127と5140を新たに組み込み)。また、リニューアル時に編成から外された5670と5681は5000系リニューアル工事に併せて同系に編入され、それぞれ5590,5591となりました。5591が2019年4月、5590が2020年3月に廃車されましたが、残る6両は2023年現在も現役で運用中です。

 

5300系5300F

1994.10.16 上牧駅

 

京都線の普通運用で上牧駅に到着する5300系のトップナンバーを含む5300Fの7連です。5100系に相当する機器に、地下鉄堺筋線乗り入れ対応の車体を組み合わせたのが5300系で、1972年から1984年までの間に105両が製造されました。車体は3300系のものを基本とし、5100系と同様に8,000kcalの冷房装置(1975年製以降の車両は10,500kcalのものに変更)を搭載しています。主電動機の出力は5100系と同じ140kWですが、駆動装置がそれまでの中空軸から中実軸に変更されました。また、ブレーキ装置は阪急の車両では初となる電気指令式が採用されています。パンタグラフは5100系同様の下枠交差式で、当初から1両に2基搭載となっています。なお、この形式から京都線用車両についても神宝線車両と同様に、下1桁が「0」から付番されるようになっています。1989年から2001年までの間に種別・行先表示幕の取り付け改造が行われ(一部を除き内装更新も実施)、1995年以降の改造車では正面幕が大型化されています。また、2002年から2003年までの間に7連2本に対しリニューアル工事(工事内容は5100系と同様)が施工されました。京都線の本線運用や堺筋線直通運用で幅広く使用され、本線の代用特急充当時には行先表示板を2枚掲出して運用されました。2019年から編成替えに伴う余剰車両の廃車が始まりましたが、2023年12月現在で94両が在籍し、8連3本が堺筋線直通を含む本線運用に、7連10本が本線の準急・普通及び千里線で運用されています。この5300Fは前述したようにトップナンバーを含む編成で、1972年に製造(中間T車の5870は1978年製)されました。比較的早い時期から現在と同じ7連で運行されており、1989年に表示幕化、2003年にリニューアル工事が施工されています。2022年には誕生50年を記念して、旧社章の復刻と車内に記念プレートの設置が行われました(HMも掲出されていたが既に撤去。なお、これらは次回定期検査まで掲出予定)。2023年現在全車現役で運用中です。

 

5300系5301F

1993.5.4 淡路駅

 

臨時急行「嵯峨野エクスプレス」に充当される、運行標識板時代の5301Fの6連です。この編成の標識板掛けは最後まで京都線仕様のまま残っており(ただし神宝線仕様の板も使用できるように先端が袋型になっていました)、特徴的なデザインを残していました。この編成も5300Fと同様に1972年製で、この撮影後まもなく5881(1974年製)を組み込み7連化されました。1996年頃に内装更新を先行実施後、2001年に表示幕化(車内案内表示機も設置)され、2023年現在も全車現役で運用中です。

 

5300系5308F

1994.1.28 茨木市駅

 

本線急行運用に充当される、運行標識板時代の5308Fの8連です。この編成は1974年に製造(中間M車の5809と5909は1981年製)され、5408と5409の2両は運転室と車体本体を別々に製造し、ボルトでつなぎ合わせたユニット運転台の試作車両となっていました。1999年に表示幕化され、このときにユニット運転台の2両も運転台部分と車体部分の一体化が行われました。2020年に中間M車を脱車の上、5803を改番の上T車化した5893を組み込んだ7連となり、2023年現在もこの状態で運用されています。なお、脱車されたM車のうち、5909は2020年11月に、5809は2023年7月にそれぞれ廃車となっています。

 

5300系5313F

1997年頃 北千里駅

 

北千里駅に到着する、表示幕改造後の5313Fの8連です。この編成は1975年に製造(中間M車の5804と5904は1979年製)され、1996年頃に表示幕化されました。2023年現在も全車現役で、撮影当時の8連のまま運用されています。

 

5300系5317F

1994.5.21 淡路駅付近

 

京都線の本線急行運用に就く、運行標識板時代の5317Fの8連です。この編成は1977年に製造(中間M車の5800と5900は1972年製、中間組み込みMc車の5322と5421は1978年製)され、1995年に表示幕化されました。こちらも2023年現在全車現役で、撮影当時と同じ8連で運用されています。

 

5300系5321F

撮影時期不明 高槻市駅

 

堺筋線直通運用に充当中の、運行標識板時代の5321Fの8連です。直通運用に入る場合は運行標識板は使用せず、前面左上の方向幕(手動式)を操作して行先を表示していました。なお、5300系の直通運用は長らく平日朝夕の堺筋急行のみという時代が続いていましたが、1993年の天下茶屋延伸以降は堺筋線運用も8連が基本となったため、昼間時間帯の運用にも充当されるようになっています。この5321Fは1978年に製造(中間T車の5862は1972年製、5853は1973年製。中間Mc車の5318と5417は1977年製)され、1998年に表示幕化されました。2019年に中間M車の5803と5903を脱車し、5866(1974年製)を組み込んだ7連となり、2023年現在もこの状態で運用されています。なお、脱車された中間M車のうち、5903は2019年11月に廃車され、5803は前述のとおりT車化され5893に改番されています。

 

5300系5323F

1994.1.28 桂駅

 

桂駅に停車中の5323Fの7連による京都線普通です。この5323Fは1979年に製造(中間T車の5857,5867は1973年製、5883は1975年製)され、1990年に表示幕化されました。2023年現在も全車現役で、撮影当時と同じ7連で運用されています。