新宿の紀伊國屋書店に
「お父さん、日本のことを教えて!」
発売4年経ってもバッチリ並べてあった。
永く、深く愛されて欲しいものです。
著者検索すると、12冊の本が
夏の新宿 歌舞伎町
おや、突き当たりに見えるのは
なんと!
ゴジラじゃ あーりませんか
そのそばに、
熊本の塾の懇親会のあと立ち寄る
あのラーメン屋さんが
と、いうわけで東京です。
今日は、聖書塾
大切なコトバを届けにいきます。
ずっと昔のことです。
家が建築会社だったので、
建築の大学に進まなければならないと思っていました。
進学校で進路を決めるのですが、
建築の大学で行ける学校が無いのです。
なぜなら、
数学、物理、化学・・・理科系の成績が最悪だったからです。
日本史は旺文社の模擬試験で一番を取ったことがありますし、国語もできました。
でも、
理科系の学部に進むことはできませんでした。
苦痛でした。
建築の才能などないと思いましたが、
いつしか建設会社の社長になりました。
30年間も建設会社の社長をつとめました。
いったい自分の才能は何なのか・・・?と考えた時期もありました。
でも、
自分の才能は考えても分かりませんでした。
自分探しの時期もありました。
四国88か所お遍路を回ったり、
インドに4回も5回も行ったりしたけれども、
高野山にもガンジス川にも「本当の自分」など落ちていませんでした。
いま、ようやく思います。
「才能とは、考えるものではなく、
誰かが、気がつくもの」だと
知識をどれほど増やそうとも才能はわかりません。
恋愛についての知識をいかに増やそうが、
愛がわからないのと同じです。
動いて、
人と出会って、
人と交わって、
誰かの役に立って、
「ありがとう」と言われたとき、
ふっと、魂の奥底から湧きあがって来る源泉のようなあたたかさ。
それが、才能。
私は、建設会社の社長をしているときも、
日本中いや、世界を旅していました。
日本全国に友だちがいました。
筆まめでたくさん手紙やはがきを書いたからです。
乗り物で移動するのが大好きです。
そして、想いを語って伝えるとき楽しい気持ちになりました。
ちょっとした時間があったら、
手紙を書いたり、本を読んだりします。
14年間休まずにブロクを書いているのも、
ことばすることが好きだからです。
人前に出るのは好きではありませんが、
人に想いを届け、その人がいい風に変わって行けたなら嬉しいです。
ときどき、
相手の逆鱗に触れることがありますが、
それにしても相手に影響を与えているのだと見れば、
相手の闇を引き出す才能なのです。
田舎の工務店社長として世間体を気にしながら生きている間、苦しかった分、解放されて自分の才能を活用して生きる喜びを知りました。
人は、自分自身を生きるために生まれてきたのですから、一人ひとりが才能という源泉を掘り当てるという大切な仕事をしなければなりません。
そして、
「自分はこのライフワークを生きる」
と、決めて、
「このライフワークを生きるために生まれてきたのだ!」
と信じるのです。
才能を信じるのも才能です。
そして、
それは、一人に一つずつ、みんなちがうのです。
だから、
才能は、人の数だけあって、
誰とも比べない、自分だけが感じる自分だけの国でいいのです。
神さまとの聖なる約束で生まれてきたこの世界。
果たすべき役割を果たし切ってこの世を卒業する日が楽しみです。
生きててよかった、今日も
聖書塾のみんなが待っていてくれる。