一つ旅が終わって、

   かっこちゃんと23名の仲間たちが帰る。


 淋しくなるけど、

   始まったら終わる。



  不思議なもので、

旅が始まったときは、

時間がゆっくりと流れる。


      旅の半分が過ぎると、

    一気に流れが加速して、

    あっという間に終わりに向かう。


   きっと人生という旅もそうなんだろう。



 かっこちゃんのメルマガから・・・



(引用ここから)
ベツレヘムの街を移動していると、どうしても目に入る大きなものがあります。
パレスチナの街をぐるりと取り囲むようにそびえ立つ、トゲトゲの有刺鉄線がいっぱい
ついた、本当に高くて長いコンクリートの壁です。

この壁は、いったい誰が、何のために作ったのだろう、とわたしは考えました。
壁を作ったのは、中に住んでいるパレスチナの人たちではなく、外側のイスラエルの
人たちでした。

今から20年ほど前、イスラエルの中では、自分の体に爆弾を仕掛けて、大勢の人が集まるバスやカフェで爆破させるという、本当に悲しい自爆テロが毎日のようにたくさん起きていたのだそうです。

罪のない一般の市民や子どもたちが、ある日突然、命を奪われてしまう。
そんな恐怖のなかで、イスラエルの人たちは「どうしても自分たちの家族や大切な命を守らなければならない」と、苦渋の決断として、テロリストが入ってこられない
ようにこの大きな壁を作ったのでした。

実際にこの壁ができたことで、そうした悲しい爆破事件は、なんと100分の1にまで激減したのだそうです。イスラエルの人たちにとっては、この壁は「命を守るための盾」だったのですね。

けれど、壁の反対側にいるパレスチナの人たちの立場から見ると、景色は一変します。

壁が作られたことで、彼らの自由は激しく奪われることになりました。それまで普通に行き来できていた仕事場に行けなくなったり、壁の向こうにいる大好きな家族や
会いたい人に、自由に会いに行くことさえできなくなってしまったのです。

高い壁に囲まれた街の中で、まるで閉じ込められているかのような、深い苦しみや不自由さを抱えながら生きることになりました。パレスチナの人たちにとっては、この壁は「自由を奪う障壁」だったのです。

どちらの側にも、守りたい命があり、譲れない暮らしの言い分がある。

同じ一つの国の中に、こんなにもお互いが傷つき合い、すれ違っている、わたしたちの
知らない現実がいっぱいあるのですね。

どちらが正しい、間違っているということではなく、それぞれが過酷な歴史のなかで、
必死に命を守り、必死に生きようとしている。

ベツレヘムの高い壁に描かれた、手榴弾の代わりに花束を投げる男の絵。

その絵が、どうしてこの場所に描かれなければならなかったのか。その本当の意味が、この境界の壁を見上げたとき、深く深く胸に突き刺さるような気がしました。

行きは、赤塚さんの不思議なご縁のおかげで、何の検査もなく知らないうちにベツレヘムに入ることができていたわたしたち。でも、やっぱりここはパレスチナ自治区なのだと、帰りのルートで思い知ることになりました。

ベツレヘムを出ようとしたとき、バスが検問所で止められたのです。

ガタリと扉が開き、銃で武装した若い兵隊さんがバスの中に乗り込んできました。
そして、キリッとした鋭い目つきで、「パスポートを見せてください」と言ったのです。

さっきまで、バスの中でワイワイと楽しくお話をしていたわたしたちの間に、一瞬にしてしんとした、張り詰めるような緊張の空気が漂いました。

銃を手にした人がすぐ目の前に立っている。日本にいたら決して味わうことのない、命の境界線に立っているような独特な空気に、胸がドキドキと高鳴りました。

パスポートのチェックは、実際には赤塚さんだけでしたが、兵隊さんがバスを降りていったとき、みんなで「ほっ」と大きなため息をつきました。

でも、この張り詰めた空気こそが、ここに住む人たちが毎日毎日、当たり前のように呼吸している「日常」の欠片なのだと気づいたとき、胸がキューッと締め付けられるような気がしたのです。

どちらの側にも、守りたい命があり、譲れない暮らしの言い分がある。

それぞれが過酷な歴史のなかで、必死に命を守り、必死に生きようとしている。



ベツレヘムの壁に描かれた、手榴弾の代わりに花束を投げる男の絵。

その絵が、どうしてこの場所に描かれなければならなかったのか。そして、赤塚さんがどうして5年もかけてこの絵を探し出し、わたしたちをここに連れてきてくれたのか。

銃を持った兵隊さんの姿と、壁に描かれた花束の絵が、わたしたちの心の中で深く深く重なり合っていきました。

ベツレヘムでの深く温かい奇跡の余韻に包まれながら、わたしたちのバスはいよいよ、聖地エルサレムの旧市街地へと向かって、ぐんぐんと坂を登っていきました。

ここは、かつて国を追われ、世界中に散らばったユダヤの人たちが、「いつか必ず、あのエルサレムへ帰るんだ」と何千年も心に誓い、祈り続けてきた、魂の約束の場所です。

旧市街の街並みが一望できる、オリーブ山の美しい展望台に到着しました。

車を降りると、驚くほどそこには誰もいませんでした。
いつもなら世界中からの観光客で埋め尽くされ、お土産売りやスリ、そして「ラクダと一緒に写真を撮って1ドルだよ!」と声をかけてくる賑やかなおじさんたちで溢れかえっているはずの場所です。

「本当に誰もいないなぁ……」と、赤塚さんと平和くんもしみじみと言っていました。

その場所は、山の上からの風がもの凄く強くて、日傘も満足にさせないほどでした。
すぐ目の前の斜面には、見渡す限りに白っぽいお墓がずらりと並んでいるのが見えます。

ガイドのゆうこちゃんが、こう教えてくれました。

「ここはね、お墓としては世界一の一等地なんです。それだけでなく、みんなが遠ざけたがる死者のお墓が、こうして一番前で旧市街の聖地を守っているんですよ」
ゆうこちゃんは、強い風のなか、遠くに見える「黄金の岩のドーム」や、マリア様のお墓がある教会、そしてイエス様を裏切った弟子の一人が「私はあの人を知らない」と三度嘘をついたあとに鶏が鳴いたという「鶏鳴(けいめい)教会」などを、ひとつひとつ
指差しながら丁寧に案内してくださいました。


そうして、わたしたちはイエス様が最後に歩まれた道へと向かいました。

最初に細い坂道を歩いていると、一台の車が通りかかりました。

中から人が顔を出して、
「もう2時を過ぎているから、どこも閉まっていて入れないよ。それなら僕の教会に来ないかい?」
と言うのです。時計を見ると、確かに2時はとっくに過ぎていました。

「本当にどこも空いていないのかなぁ……」
赤塚さんがゆうこちゃんに聞いても「行ってみないと分からない」と言うので、
「それなら、とにかく行ってみよう!」ということになりました。

あのイエス様が、捕まる直前の最後の夜に、血の汗を流して祈られたという「ゲッセマネの園」までは、とても長い長い坂道が続きます。

わたしはすぐに坂道で息切れしてしまうのです。

すると、北海道の工藤さん(アニメのコナンくんを思い出させてくれるので、しんちゃんとかコナンくんと呼んでいます)が、坂道になるとわたしの手をグッと力強く
引っ張って歩いてくださいました。コナンくんの優しさのおかげで、わたしは一歩一歩、ようやくその聖なる園へとたどり着くことができたのです。


到着すると、確かにゲッセマネの園の門はピタリと閉まっていました。

「やっぱりダメだったのかな……」と思ったそのとき、赤塚さんが門の扉をそっと押してみたのです。

すると、どうしたわけか、鍵がかかっていなくて、扉がスーッと開きました。

わたしたちは導かれるように、樹齢2000年とも言われるオリーブの古木が静かに佇む、ゲッセマネの園の中へと入っていくことができました。

けれど、園の奥にある「万国民の教会(血の汗の教会)」の重い扉は、やはりしっかりと閉ざされていました。
中に入ることなんて、とてもできそうにありません。

そのとき、一緒に行っていた左官屋さんのまーちゃんが、教会をお掃除されていた方のところへトコトコと歩いていきました。
そして、
「中に入って、ちょっとだけ写真を撮らせてもらえませんか?」
と一生懸命に頼んでくれたのです。

すると、しばらくしてまーちゃんが笑顔で戻ってきて、
「中へちょっとなら入っていいよって言ってるよ!」
と手招きしてくれたのです。

誰も入れないはずの聖堂の扉が、わたしたちのために
開かれました。

薄暗い教会の中に入ると、祭壇の前に、大きなむき出しの岩肌が現れました。

こここそが、イエス様が十字架にかけられる前夜、あまりの恐ろしさと苦しみのなかに身を震わせ、地面につっぷして「血のような汗」を流しながら、神さまに祈り続けられたといわれる、本物の「苦悶の岩」でした。

いつもなら柵で囲まれていて、遠くから眺めるだけで絶対に触れることなどできない神聖な岩です。

でも、赤塚さんが、
「誰もいないから、いま触らせてもらい。触れてごらん」
と優しく言ってくださいました。

わたしたちは、2000年前のイエス様の震えるような息遣いと愛が染み込んだその岩に、そっと手を合わせ、みんなで直接触れさせていただくことができたのです。

ひんやりとした岩肌から、言葉にならない震えるような感動が、手のひらを通じて体中に
伝わってきました。

教会を出たあと、赤塚さんは、とても強い日差しが照りつける熱い地面の上に真っ直ぐに立って、わたしたちにお話をしてくださいました。

「ゲッセマネというのはね、ヘブライ語で『油搾り機』という意味なんだよ。
オリーブの
実をギューッと限界まで搾って、一滴の美しいオイルを出すように、イエス様もここで、
自分の命をギューッと搾るようにして、血の汗を流して祈られたんだ。

そしてね、イエス様は一番信頼していたペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子に

『ここでわたしと一緒に起きて、待っていておくれ』

と頼んだんだよ。それなのに、
弟子たちはその苦しみを知らずに、ぐうぐうと眠り込んでしまった。

おまえたちは
わからないのか、こんな短い間も寝ないではいられないのか、とイエスが言って、
それが三度続いたあとイエスはすべてを許して十字架へと向かわれたんだよ」

みんなはあまりの暑さに、オリーブの木陰にそっと入って聞いていたのですが、赤塚さんだけは、ジリジリと照りつける太陽の下で、汗を流しながら、一生懸命にその物語をわたしたちに伝えてくださいました。

その赤塚さんの熱い思いにも、わたしはもの凄く
感動して、胸がいっぱいになりました。

「2時を過ぎたら閉まっているから入れない」
誰もがそう言って諦めるような状況だったのに、コナンくんが手を引っ張ってくれて、赤塚さんが門を押し開け、まーちゃんが声をかけてくれて扉を開けてくれた。

サムシング・グレートの優しいお導きと、チームのみんなの愛のバトンが繋がったからこそ、わたしたちはイエス様の最大の愛の場所に、こうして奇跡のように迎え入れてもらうことができたのでした。

そして、ライオン門についたら、ヘブライ大学で、日本美術や茶道を教えておられる和子ちゃんが待っていてくださいました。
前もって約束をしていたのです。

前回も不思議なご縁で会うことができて、今回もこうして会えて本当にうれしいです。

和子ちゃんは「私はユダヤ人だから」と言われました。
日本人だけどユダヤ人だと。

旅の仲間とすぐに打ち解けて、いろいろなお話をしながら、旧市街を歩いてくださいました。

旧市街の入り口で、ゆうこちゃんが、彫刻がされているIからXIIまでの場所の説明を
してくださいました。私たちはそれに沿って歩きました。

聖墳墓教会に来た時に、ちょうどアメリカにおられる和子ちゃんのお嬢さんとお孫さんから電話がありました。
ビデオ電話。

聖墳墓教会のことを「怖い教会に来ているよ」と
言われていました。

和子ちゃんも、案内するために、5、6回来たくらいかなと教えてくださいました。

イエスさまのことも、お名前では呼ばれず、あの人とおっしゃっておられたようでした。

私は、聖書も書いたけど仏教も書いて、何教ということはありません。

どちらかというと、サムシンググレートのことを考えの基準にしています。

だから、和子ちゃんのお話もまた、ゆったりと伺うことができました。

旧市街地は初めて訪れたときは、聖書の舞台を歩いていることに胸がいっぱいでした。
でも何度訪れても、この街は同じ顔を見せてくれません。

旧市街の細い石畳の道には、今日もたくさんの人が暮らしています。

店先には色とりどりの果物や香辛料が並び、人々は値段を交渉しながら買い物をしています。
パンを焼く香りが
漂い、家々の窓からは暮らしの音が聞こえてきます。

そして子どもたちは、石畳の坂道をスクーターで風のように駆け抜けていきます。

その姿を見ていると、ここが「遺跡」ではなく、今も生きている街なのだとわかります。

そんな人々の暮らしの真ん中に、イエスさまが歩まれた道があります。

第一留から第十二留までの足跡が、特別な場所として切り離されているのではなく、人々の日々の営みの中に
静かに息づいているのです。

私はその石畳を歩きながら、二千年前もきっと同じだったのではないかと思いました。

商人たちの声が響き、子どもたちが走り回り、人々が笑い、悩み、祈りながら暮らしていた。
その中をイエスさまも歩かれたのだと。

何度訪れても、この街では過去が過去になりません。昔の出来事が、今を生きる人々の暮らしの中に溶け込みながら、今もなお息づいているように感じるのです。

途中で香辛料のお店を赤塚さんがあったよーと見つけてくださいました。

私はジンジャーエールを作るのが好きで、イスラエルで買ったものを使っていて、そのお店が閉店してしまったと聞いて、残念とお話していたのです。

そこで、カルダモンやシナモンや、それから、もちろんジンジャーも入れますが、もっともっとたくさんの香辛料をつかうのです。赤塚さんが楽しみにしてくださるので、それもうれしいです。

それから、今回、ベツレヘムで、欲しいなあと思っていたラクダの革のサンダルがあって、
でも、そのときは先を急いでいて買えませんでした。

それも赤塚さんが私がほしがって
いたのを覚えていてくださって、あったよーと教えてくださいました。

イスラエルのサンダルは、ジーザスサンダルとも呼ばれていて、イエスさまがはいておられたという意味です。

赤塚さんが私を最初にイスラエルへと誘ってくださったときに、赤塚さんはなんと私を案内するために、三ヶ月前にイスラエルに旅の計画のために訪れてくださって、
だれもいないところで、祈っていた時に、イエス様が来てくださったと感じたそうです。

そのときに、イエス様のサンダルを履いた足が見えたのだそうです。

でも頭をあげることができなかったのだそうです。

前に赤塚さんが命を落としそうになったときに、奥様のひろこちゃんが助けに来てくださったとき、あまりの不思議なことが重なったことがあって、そのときのことを
思い出して

「あのときに、僕を助けてくださったのは、あなたですか?」
と聞いたら、
「そうじゃない。お前が自分をあきらめなかったからだ」と答えてくれて、

「私が生まれた時からずっとそばにいてくださったのですか?」と聞いたら
「そうじゃない。生まれる前からずうっとだよ」っておっしゃったそうです。

「どうして、わたしなんかを?」赤塚さんがそう聞かれたら
イエスは「Because you are you」
と英語で答えてくださったそう。

私はそのお話を聞くたびに泣けます。

そして、ジーザスサンダルの存在を知って、
イスラエルで人気と聞いたときに、いつか履きたいなあと思ったのでした。

ゆうちゃんもほしいなと言ったので、ゆうこちゃんが値段交渉してくださいました。

二人で60ドル。いっちゃんも男物のサンダルを買われました。こちらは、65ドルを55ドルにしてもらっていました。

ホテルは旧市街へそのままつながるような場所に建っている、とても素敵なホテルでした。

四年間、日本人のお客さんは来ていないのだそうです。
ロビーで和子ちゃんに待っていていただいて、私は急いで部屋へ戻りました。

着替えをして、日本から持ってきたお土産を取りに行ったのです。

最初は『聖書─宇宙の約束』をお渡ししようと思っていました。

けれど和子ちゃんは、「私はユダヤ人なんですよ」とおっしゃっていましたし、星の王子さまが大好きだと話してくださっていました。

それで私は、『星の王子さま2』と、『星の王子さまと、そして、わたし』の二冊をお渡しすることにしました。

和子ちゃんは本を手にしながら、星の王子さまの中でずっと心に残っている場面があると教えてくださいました。

キツネが、
「ぼくはまだ、きみに飼いならされていないからね」
と言う場面です。

私はその言葉を聞いて、少し驚きました。
なぜなら、私がその言葉から感じていた意味とは少し違っていたからです。

和子ちゃんは、その言葉を、
「誰かに合わせるために自分を曲げて生きるのではなく、自分らしく生きること」
として受け取っておられるようでした。

きっとそれは、和子ちゃんご自身の人生とも重なっているのでしょう。

日本人として生まれ、イスラエルの方と結婚され、ハワイの大学で長く教え、そしてイスラエルへ移り住まれた。

たくさんの土地を渡りながらも、自分らしく生き続けてこられたからこそ、その言葉が深く胸に響いたのかもしれません。

同じ本を読んでも、人によって心に残る場所は違います。

それは、その人が歩いてきた道のりが違うからなのでしょう。

だからこそ、お話を伺うことは面白いのだと思います。

私は和子ちゃんのお話を聞きながら、同じ『星の王子さま』の中に、まだ私の知らないたくさんの宝物が隠れているような気持ちになりました。

こうしてお会いできて、いろいろなお話を聞かせていただけたことが、
本当にうれしかったです。
夜はまたウクレレをみんなでしました。
       (引用ここまで)


 かっこちゃんたちは、今日日本に向かう。

 わたしは再び死海へ。

    旅は、まだた続く。