大好きな絵描きさん
小川けんいちさんに赤塚高仁を描いてもらいました。

   やっぱりいいですね。

 AIがあっという間にいっぱい描くけれど、
 一枚の絵がココロを温めてくれる。

人が生きるとは、そんな気持ちを味わうことでもある。


 携帯、いやスマホのない暮らしが考えられないほど、日常が手のひらの中の画面に支配されてしまっています。

  このブログの文章もスマホで書いているので、「字を書く」ことさえ紙と万年筆から遠ざかっています。

  手紙もハガキもいつしかLINEやメッセンジャーになりました。 

読書さえ紙をめくらずKindleで・・・

つながっているのが当たり前だと思い込んでしまって、返信かこないと気になる。


 私がサラリーマンをしていた頃、ポケベルもテレフォンカードもありませんでした。

営業で四国中を動き回り、ときには広島、岡山、神戸、大阪と出張していましたから、
会社を出たら、10時と12時と15時、それから帰社できないときは17時、定時連絡をするのが決まりでした。

 会社からは私に連絡が取れないのですから、
こちらからするしかないわけです。

それが、ポケベル~携帯電話とあちらからの連絡が届くようになり、それが当たり前の時代に生かされているのですね。

海外にいても電話がかかってくるのですから、
時代が変わったのです。

 ところが、
その道具をひとたび失うと、
途方に暮れてしまうのではないでしょうか。

待ち合わせすらできなくなってしまう。


 高性能、便利になった気がしていますが、

 もしかしたらとんでもなく不便になっているのかも。


 何のために便利さを求めるのでしょう。

 便利になると時間が節約できる?

でも、節約された時間を何に使う?

   仕事? 娯楽? 

    ネットに溢れる情報という名のノイズに

 振り回されて、誰もが「本当のこと」が見えない。


一度失われたものを取り戻すのは容易ではありません。


公衆電話を使いたいと思っても
ないのです! 街の中に 公衆電話が
テレフォンカードも持ち歩いていないし、
そんな時に限って10円玉がない。


 もちろん、昔は良かったなんて話をしようとは思いません。
いまさら馬車に乗ってお姫様を迎えになんていけませんし、のろしを上げて合図する世界に戻るとは思いません。


でも、
頼りきらないことも大事だな、と思います。

 ときにはほんのちょっと、立ち止まり

「考える」ことを楽しみたいものです。

  せっかく節約して生み出された時間なのだから。