エルサレムのストリートピアノ


   「イマジン」


  天まで届け!



それにしても、
今回の旅は、実に深く自分と向き合う時間でした。
時空を超えました。

自分の中で、
何かが確実に変わりました。

それを言語化して、
落とし込むには、少しだけ時間が必要ですが・・



まず、
自分のことをもっと認めていいのだ、
と、改めて知らされる旅でした。


もっと自分を信じて、
ちゃんと自分を愛さなければいけない。

愛こそすべて!

言葉では知っています。

「自分を愛するように、
あなたの隣人を愛せよ」
という、イエスの言葉も知っています。

でも、
神さまが許してくださっている自分を、
自分が許していないことに
気づいていませんでした。

だから、
自分を愛するということがわからなかったのです。

 

  改めて考えてみよう。

「生きる」ということ。


 誰もが、たとえ「何となく」生きていたとしても、それが、「自分にとって良い」と思っているから。

 これが正しいのだと人を裁くのも、それが、「自分にとって良い」と信じているから。

 自分にとって良いことでなければ、人はするはずがないのです。

 それがどのようなことであっても、それが自分にとって良いことだと、必ず認めているのです。

  それが、好きだからやっているのです。

 何故だか人は、誰しも、自分の好きなことをするしかできないみたい。


  だけど、

みんなが好き勝手してたら社会という観念が成り立たないから、「道徳」「正義」「法律」「律法」「戒律」、決まりが作られる。

 それに従うのが正しいと、世のほとんどの人が思い込んでいる。

 でも、そんなもの決して本当の善悪じゃない。

 なぜなら、時代や社会によって全然違うから。

例えば明治や昭和の時代、お妾さんなんて当たり前だった。

 でも、いまは不倫として制裁を受ける。


  そんなもの本当の善悪なんかじゃない。

 本当によいこと

 本当に悪いこと

それは、時代や社会によって変わることなんかない。


 社会が決めた法律なんかに善悪はない。

  本当の善悪はいつも自分の中にある。

   それを知ろうとする心の中にある。


 誰かが決めた善悪に従って生きるのは簡単だ。

  でも、そんなのは嫌だ、信じられない。

だって、それが本当かわからないから。

だから、自分で考えるんだ。


私たちが最も恐れているもの、
それは自分が無力だということではなく、
自分には計り知れない力があるという可能性なんだ。

私たちが最も恐れるのは我々の光であって、
闇ではないのです。

自分に問いかけます、

「自分ごときが賢く、美しく、才能にあふれた素晴らしい人物であろうはずがないではないか?」

そうだ
親が教えたように
「どうせ無理。
お前はそんな大それたこと考えてはいけない。」

でも

何のために生まれて、

何をして喜ぶのかは、

みんな違って

みんないい


遥か中東の空の下で、こんなメッセージを受けました。


「あなたが遠慮をしても世界の役には立たない。
目立たぬようにとあなたが身を縮めることは何の美徳でもない。
我々は、自らの内にある神の栄光を現すために生まれてきたのだ。
私たちは神の子なのだから」

そして、

「あなたのその力、
あなたのその光、
そして、あなたのその命は、
あなたのために使うものではない。
命は人のために使うのだ」と。


闇に降りて光を生きる。

私たちが自らの内にある光を輝かせるとき、
無意識のうちに他者に対しても光を放ちます。

私たちが自分の持つ恐れから自らを解放するとき、
私たちは、同時に他者も解放するのです。


自分を許します。

これまでの一切を受け止め、
感謝して、
受け入れます。

それから、
いまから始まる新しい冒険を、
受けて立つのです。


世界で唯一の人生が変わる聖書漫談師・赤塚高仁のステージは、この旅を通って間違いなく次元上昇しました。

聖書塾、変容塾を誰よりも楽しみにしている私です。


「自分を愛するように

あなたの隣人を愛しなさい」


聖書の教えはこの言葉につきます。

自分を愛すること、
ワガママを超えて
あるがままを生きましょう!

 命がけで自分で自分の機嫌を取って。