聖書に最初の人間の死亡原因が書かれています。


   「殺人」です。


 それも、兄による弟殺し。


    動機は、嫉妬。



 モーセの十戒にも

  「妬むな」とあります。


    嫉妬は人生を台無しにする。


 我が師、糸川英夫博士がロケット開発のとき

人工衛星打ち上げに失敗し、

それを朝日新聞が国費の無駄遣いだと、

大騒ぎしました。


  そのうえ、糸川と企業の癒着など

 無いこと無いこと書き立てて、

 糸川潰しのキャンペーンを打ちました。


糸川英夫はこのままでは人工衛星が上げられない。

 そう思い東大を辞めます。

 

「朝日新聞は、宇宙開発でなく糸川英夫が憎いのだ」


  記者は糸川の東大時代の同級生。


   ロケット博士として時代の寵児であった

  糸川英夫に嫉妬したのです。



 糸川先生はこう話してくださいました。


 「怒りも悲しみも、喜びもすぐ消えます。

  でもね、

  嫉妬の心は消えない。

  死んでも怨念となって残る。


  気をつけなさい。

  嫉妬の心は人生を台無しにするから」


 以来、

  私が一番気をつけているのが嫉妬心。


    それでも湧き上がる、妬む心。


 その闇に乗っ取られないこと。

   意識すること。

     闇を見据えるスタミナを育もう。


 嫉妬なんてオバケ、どこにもなく

自分の心が生んだ物語なのだから。


 





若い頃の私は、苦しみから解放されたい、と真剣に求めていましたから、あらゆる宗教に救いを求め、出かけてゆきました。

どの宗教の人も熱心に丁寧に教えてくれました。

お参りにもいきました。
でも、少しも心が晴れません。

 

 私は、悟りたいと思っていました。

悟ったら、平安な心になり、
安心して暮らせ、苦しみから解放されると思いましたから。


でも、

それらはみんな自分のことで、全部エゴです。

「悟るとは、自分のことを言わなくなること」だと気づきました。


苦しみから解放されている瞬間は、

「自分が勘定に入っていない時、つまり、人のために生きているとき」であることもわかりました。


苦しみの原因は「私」です。


実体のない「私という錯覚」が苦しみを生みます。

苦しみというものも、「私が感じている」ことであり、存在していない幻想です。


しかし、
私について考える時、苦しみは湧きあがってきます。

そこから解放されたいという願いも、「私について」のことです。

 

 悟るとは、

 自分のことを言わなくなるということです。


悟ると、ネガティブな言葉がでなくなるということです。


悟った人は、特別な宗教のように教祖になるのではなく、当たり前のように現場にいるということです。


そして、普通の人たちの中でこの世を生きている。


ただ、ひとつ違う点は、
悟った人は、朱に交わっても赤くならないのです。


 本当の自分を生きるということは、素敵なことですね。


私たちは、自分を生きるために生まれてきました。

 目覚めることのない朝が必ずやってきます。

毎晩眠ることができるのは、明日の朝目が覚めると信じているからです。


でも、
目覚めることのない朝が必ずやってきます。

 思いのほか人生は短い。


 今日一日、利他の心で自分を忘れて誰かのために命を燃やして参りましょう。

本当の自分を生きるとは、
命を誰かのために使うことでもあります。

 今朝も目が覚めてよかった。

     ありがとうございます。

 今日も、友が訪ねてきてくれる。

      わたしはしあわせ。