さすが直行便

   あっという間に着きました。



  これがTel Avivの灯だ。


    さあ、37回目のイスラエル

  来るたびに新しい、

  そして、驚きに満ちている。


   地中海の町テルアビブで最初の夜を過ごし、

 明日はガリラヤ湖に向かう。


  どんな物語が生まれるのでしょう。


    わくわくします。



 30名近くの仲間が全国から集ってくださいました。


  男子2名、ほぼ女子校状態。

   子育て世代のお母さんたち。

 

  「人生謳歌塾」


  子供たちのために、自分が変わると決めて


  「イスラエルに行く」とコトバした人たち。




 はじめに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。
できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言葉に命があった。
そしてこの命は人の光であった。
光は闇の中に輝いている。
そして、闇はこれに勝たなかった。

(ヨハネによる福音書・第一章)

さあ、

  聖書の世界を旅しよう。


堅苦しい宗教談議や、気の滅入るお祈りから解放されて、げらげら笑いながら、神様へ向かおうという世界で唯一のツアーです。

きっと、
カトリックの神父さんは怒るでしょうね。
不謹慎だ!と。


でも、
聖書も持たず、教会にも行かず、
野原や道端や井戸のそばで笑い話をしながら、
ときには大酒を飲みながら、
神さまを証ししていたのが、30歳のイエスでした。

もちろん、
私はボランティアで聖書講義をやりませんし、
道端でパンフレットを配ったりもしません。

「人生が変わる聖書漫談師」という、
唯一無二の肩書をもつ伝道師としてガイドします。

これが私のライフワークです。

 

この世界で、どれほど「言葉」が重要なのかということを学ぶ旅でもあります。

目に見えるすべてのものは、
目に見えない世界からやってきますが、
それは「言葉」の変化体なのです。

「言葉」とは、「いのち」が乗った「音」
いのり、であり、言霊なのです。

これほど大切なものを、ないがしろにしてしまっています。


心はころころ変わるから、
心を変えようとすると前に進めなくなってしまいます。


けれど、
「言葉」を変えることは今スグできます。


思考のエネルギーは「言葉」で表します。


まわりがどんなに乱れた言葉を使っていようと、
人も自分も気持ち良くなる素敵な言葉を使うと決めましょう。

人生は、口から入れるものではなく、
口から出す言葉によって創り上げられてゆくのですから。


  いつも喜んでいよう。

  放っておくと人は不幸を探します。

あたかも引力にひかれて落ちるリンゴのように。

美しく咲く桜の木の下に犬のウンコがあると嘆くのをやめて、花を愛でようよ。

 しあわせを失って気づくことがあります。

 しあわせの海の中にいるのに、気づかない。

 魚に水が見えないように。


 過去という生ゴミを食べ、今が手薄になるとき大切な人間関係を失います。

幸せかどうかを決めるのは世間ではなく、自分自身。

人生は短いもの。


だからこそ、

誰とのつき合いにおいても後悔を残したくない。


毎日顔を合わせている人とも明日は会えないかもしれないのですから、「ありがとう」をちゃんといおう。