「作家・講演家」
として、

全国各地で講演をしてまわらせてもらうなんて、
夢にも思いませんでした。

 いえ、夢には思ったかも知れません。

   いや、きっと小さいころ願って、決めた

 だって、決めた未来しか実現しないんだから。


建築会社の社長として30年生きました。

三重県不動産協会の理事として何年間も毎月、宅建協会の会議に出席しました。

職人さん、協力業者のみなさんとの勉強会、
「我楽他倶楽部(がらくたくらぶ)」も毎月開催し、親睦旅行も毎年実施しました。

自分でも工具を持って、水道の修理やドアの建て付けの調整など走りました。


36年前に糸川博士に出会いイスラエルへと導かれ、
ユダヤ民族が国を失って、再び建国したと知りました。


23年前、42歳の時に娘の万穂がアメリカに留学し、
娘から自国の歴史を知らないことほど恥ずかしいことはないと教えられました。

 知らないのは、教えてもらってないからじゃなく、

  祖国日本を愛してないから、だと。


同時に聖書の学びも始まりました。

キリストの幕屋の創始者・手島郁郎氏の直弟子、高橋恒男伝道師から直接学び、数年間、毎朝6時から1時間、来る日も来る日も高橋先生のもとに通い聖書を音読しました。
工務店経営をしながらです。

 12年間、日曜日は集会。

 週二回夜、聖書の勉強会。

 月に一度、ログハウスで家庭集会。

 大晦日は徹夜の祈り会・・・


工務店の社長がどうして仕事と関係ない、
「やまとこころのキャンドルサービス」なんてやるの?
と、聞かれました。

自分でもよくわからないというのが本当のことです。

そのための学問を修めるために大学に行けばよかったのでしょうか?

学校の先生か、学者になればよかったのでしょうか?


いいえ、
あとからわかるのです。

 

 私は、夢や希望や目的をもって生きることができませんでした。

無目的人間です。


子どもの頃から、将来の夢などを語る同級生にずっと違和感を覚えていました。


「大した経験もなく、
  小さな枠の中でどうして将来を決めることができるんだろう・・・
でも、僕だって何かを成し遂げたいという情熱は胸の中で燃えている。
  情熱の向こうに何があるのだろうか・・・
 知りたいから、とにかく動いてゆこう」


人前に立って、話し始める時に感じる不思議な感覚、
夢にも思わなかったことが起きている・・・

目標に向かって走ってきたわけではないけれど、
ずっと祈ってきました。

「神さま、
  私が願うことではなく、
 あなたが私に願ってくださることを、
 為さしめてください」

 そして決めたのです。

「いま、この瞬間

 宇宙が差し出す一切を

 自分が選び取ったかの如く承る」


 一見時間も労力も無駄のように思えることが、
いまの私の感性を磨き、力になっています。


65年が必要でした。


 いろんな「視座」が出来たおかげで、
事実はひとつですが、見方がいくつも生まれます。

同じものを見ても、聞いても、
人によって感じ方が違うのです。

感性が豊かな人は見方が豊かで、
感性が貧しい人は見方が貧しいのです。


 感性が豊かになれば、
ネガティブな感情からの解放も早いのです。


視座が増え、
視野が広がり、
行動の選択肢がまちがいなく多いから。


コップにある水を見て
「これだけしかない」と見るのと、
「こんなに残っている」と見るのでは、
まったく未来は変わります。

 感性が豊かになるためには、
「いま」
「ここ」
「自分」
を、命がけで喜ぶことでしょうね。

 まわり道でもなく、その道こそ
「道草の美学」です。


 私は建築には向いていないと自覚していましたから、
実際に工務店経営は苦しいことの方が多かったです。

だけど、
自分独自のあり方を模索するという尊い学びをさせてもらえました。

30年間の工務店経営を通じてたくさんの学びを得ました。

 いま、新しいアカツカコウジで歩き始めるとき、
こんな人生があるのだなぁと、結果として気づかされています。

 聖書で一番人生が変わったのは、

    赤塚高仁・・・私でした。


 いま、宇宙から願われているのは、

    一人ひとりの変容です。