楽しいから笑うのでは赤ちゃんです。

どんなときにも笑うと楽しくなるのが人間。


 私たちは、批判され、裁かれ、比べられ、欠点を指摘され続けてきました。

人からどう思われるかが生き方の基準になってしまう。

かつて、私はそうでした。


大学も、
会社も、
世間体で決めました。

自分をほめることなどなく、
自分はダメだという劣等感のカタマリでした。

だから、
いつも機嫌よくしているのは難しかった。

誰かが機嫌をとってくれるのを待っていたり、
まわりに愚痴や不平不満、泣き言をこぼしているうちに、病気になってしまいました。


 地球という三次元現象界で生きるために、
私たちは肉体というモビルスーツをレンタルしています。

心と肉体を大切にしないと、不具合が生まれ病気になります。


大抵の場合、
自分をいたわらないときに病気なります。

だから、
自分に関心を持って、
自分をいたわって、
自分をほめて、
機嫌良くすることが何よりも大切です。


 自分が宇宙の最高傑作で、誰とも比べられない唯一無二の存在であると認められず、自分なんていない方がいいと自虐的になることもあります。

私はそうでした。

自殺したいくらい自分が嫌いだと思っていました。
でも、
実は死にたいくらい自分にしか関心がなかったのだと気づき、考え方が変わりました。


 苦しみとは、自分について考えることです。

人を喜ばすことを考えている時、
人が喜んでくれたとき、
湧きあがって来る感情を「幸せ」と呼びます。

そこに苦しみはありません。


 私たちはもともとひとつでした。


でも、
自分勝手に創り上げた「私」という錯覚によって
「分離」の世界を生きるようになってしまいました。

この分離感が、

自分を責め、

他人を裁き、

社会をうらみ、

他者を攻撃する、
すべての争いの原因なのです。


分離社会を終焉させ、ワンネスに戻る。

分離感を体験し、分離感を手放してエデンの園に還る。

これが聖なる約束なのです。


分離感は、いつ、どこ、誰にでも訪れます。

 弱るとき、恐れるとき、苦しいとき・・・

   瞬時にやって来るのが分離感です。


人を責めるな、責められないために
人を裁くな、裁かれないために

 2000年前のイエスの言葉は、永遠に不滅です

 自分がされて嬉しいことを人にしなさい
 自分がされて嫌なことは人にしてはならない


だから、不機嫌は毒であり、罪です

今日も一日
にこにこ顔で命がけで生かせていただきます。