ニュートンはりんごが落ちるのをみて、
 万有引力を発見したのだと言われています。

   ニュートンを物理の天才だと言うけど、
りんごが落ちるのに驚いた方がすごいんじゃないか。

  だって、ニュートンが発見するまでにも
 世界で、
 青森でも、信州でも、福島でも、
 無数のりんごは落ちていた。

   アダムとイブの時代から。

  誰もが「当たり前」だと思って、
 見ていたのに見ていなかった。

   ましてや、「考える」なんてしなかった。

 ニュートンだけが、
 りんごが落ちるという驚くべき当たり前のことを
 「発見」した。

   どうして、
  りんごは落ちるのか!?

 天才とは、
「当たり前のことに気づく」能力のこと。

   普通の人が当たり前だと気にも留めないことに、
  驚き、考え、気づき、追求する能力。

    それが天才!

 だって、ほとんどの人が
当たり前のことに気づきもしないで
 生きているのだから。


  毎日500ccのペットボトル20,000本分の
 空気を吸っているんだ!と気づいたときの
 感動が私を動かしています。

    わずか数分止められたら死んでしまう

  空気

   無条件で

   無差別に

   無制限で

   しかも、一方的に

      まさに神の愛です。


   当たり前は、有り難うの反対です。



    人は一瞬でしあわせになれます。

      当たり前に気づきさえすればいい。


   時間が一方的に
 誕生から死へと向かっている、というのも
 思い込みです、

 私たちは、この世にやって来て「時間」という錯覚の中で生かされます。

一方通行の時間というのは概念です。

  そう、思い込みです。

だから、
そのルールの中でゲームを楽しむのです。


 エジプトのファラオよりも、
イスラエルのソロモン王よりも遥かに豊かな暮らしをして、快適に生きている現代の私たちでも、
根源的なこの世での問題は何も変わりはありません。


それは、
「人はどうして生まれてくるの?
   私は誰?

   そして、死とは何?」


正解はこの世にはありません。

 この世には「死」が存在しないからです。


 この世を旅するルールは、


「私たちは何も所有することはできない、
   この世で得られるのは経験だけ」

「この世で変わらないものは何もない、
変わらないのはすべてが変わるという約束だけ」


所有というのは、「自分のモノのする」ということ。

しかし、「自分」というのも勝手に創り上げた錯覚ですから、私たちが得られるのは「自分のモノになった」という経験だけです。


 万物流転・・・だから、所有ということは宇宙にはあり得ない概念なのです。


自分が勝手に創り上げた「私」という錯覚も、時期が来ればこの世を去ります。


何かをずっと所有するということは不可能なのです。


 自分自身の肉体ですら自分の思い通りにはなりません。

ましてや自分の子どもを所有していると考えることなど、愚かにもほどがあります。


この世を旅する装束として一時お借りしているこの肉体です、
大切に使わせていただきましょう。
神さまが宿る、神殿ですから。

 老いること

 死ぬこと

 全て自然のリズム

 私たちにできることは、この変化を「面白がる」ことです。