スマホのカメラ

   とても綺麗に撮れるからびっくり。


 撮った写真も、

 現像に出したり、

 焼き増ししたり、

 郵便で送ったり、

 写真交換会しなくてもよくなりました。


 フエルアルバムに入れて、

 キャプション書いたりしなくても

 よくなりました。


   時代はいつも進み、変わり続ける。


 だから、

 「昔は良かった」と言ってるヒマなどない。


 アップデートし続けるのです。



 新しくしたスマホ

 iPhone15Pro Max 1TG

 30万円したけど、

 仕事の相棒だと考えると、

 ひと月分のお給料。


 毎朝のブログ

 飛行機や新幹線、電車のチケット

 宿泊手配

 YouTubeの録画配信

 移動中に映画も読書も


   なんて安いんでしょ


 変わるもの


 変わらないもの


 変えてはいけないこと


   意識して歩くことですね。




私は昔から、夏休みの宿題も8月の終わりになってからやったものです。
と、
自慢することではありませんが、
ひとそれぞれ持っている傾向は、生涯変わらないこともありますね。


 いきあたりバッチリ、
土壇場に強い、
アドリブが冴える、
そんな自分をこのごろ頼もしく思います。


準備もせず、
資料も用意せず、
10人でも
100人でも
1000人でも
10分でも
100分でも
5時間でも
話が出来るようになったのも、
人から見たら余計なことを言ったり、
道草を食ってきたからでしょうか。


もちろん経験もありますが、
生まれてくるときに、神さまから授かった賜物だと思っています。


それは、人はみんなちがうから生まれてくるという真理を聖書に学んだからです。

ユダヤ人は聖書の民です。
彼らは、人と同じであるということを最大の侮辱ととらえます。

私たちヤマト人は、人と違うことを恥とします。
どちらも素敵ですが、
どちらもいき過ぎると神の真理から外れてしまい、
神さまの願いを実現することが難しくなってしまいます。


18年前、
イエスキリストが最後の弟子教育をした、ピリポカイザリアという地で、
こんな風に祈りました。


「神さま、どうか私の願いではなく、
あなたが私に願っておられることを歩ませてください」


祈りは聞き届けられ、
それ以来、「自己啓発」でなく「神さま啓発」の世界に入れられました。


それは、

自分が願うことではなく、
神さまが自分に願っておられることをこの世で開花させる世界です。

だから、
誰かと比べる必要が皆無になりました。


すると、
妬みや嫉妬、
それに劣等感から解放されました。


 私はこの広い宇宙でたった一つのユニークな存在なんだ!
そして、
私は宇宙の最高傑作なんだ!


と、思えるようになったら、何だか楽しくなりました。

もちろん
落ち込むことも、つまづくこともあります。


でも、
つまづいたっていいじゃないか、にんげんだもの!
と、みつをのようにつぶやいて立ち上がります。


「正しきものは7たび倒れても、また起きあがる」(箴言24-16)

そうです、
「7転び8起き」も聖書の中でソロモン王が語った言葉です。


聖書はユダヤ人が、神との対話を通じて書き記したメッセージです。
4000年伝わる普遍の真理なのです。

宗教の経典にしてはいけないと、わが師、糸川英夫博士は
「人類最高のリーダーシップ論」「ビジネス書」として教えてくださいました。


「聖書は神が人間に下さった最高の贈り物。
  世界の救い主から来るすべてのよいものは、
 聖書を通じて私たちに伝えられる」

と、アブラハム・リンカーンは言っています。


全世界の人口の0.2%のユダヤ人が
大富豪の35%、
ノーベル賞の35%を占めているのは、彼らが聖書の智慧を生きているからでしょう。


 少し前に、「引き寄せの法則」が流行りましたね。

願えば現実になると、盛んにセミナーも行われていたようです。
でも、
願っているのに引き寄せられない・・・人はまた、新たな御利益を探しにいきます。

でも、
聖書を学べば、本当の引きよせとは何かを知るでしょう。


旧約聖書、ソロモンの箴言にこうあります。

「人の心には多くの計画がある。
 しかし、ただ主のみ旨だけが堅く立つ」

人間の願いはエゴから来ますが、
主なる神の願いは真理から来るから、実現します。


人の都合で神に働いてもらおうというのを、引き寄せと勘違いするようですね。

願望や欲が悪いと聖書には書いていません、
神の声を聞かないことを「罪」だと書かれています。


神に背を向ければ、真理から離れてゆく。
的外れな人生を送ることを「罪」と呼ぶのです。


 創造主たる神が、自分に何を望まれるのか?
その神の願いと、自分の願望を一致させることが本当の引き寄せの法則なのです。


私は、教会に行ったこともないし、
カトリックとプロテスタントの違いも分からずに聖書をただ読んできました。

40回ちかく聖書の現場、イスラエルで足の裏で聖書を読み、ユダヤ人と付き合ってきました。


そんな私に、

「キリストを伝えよ、
  そのままのお前で伝えよ」
と、23年前シリアのダマスカスのホテルで
心の中に声をかけたのがパウロという伝道師でした。


 聖書を学ぶのは、何のため?

キリスト教という宗教を知ったり、信仰するためでは全くありません。


私たちは、やまとのこころを持ち、聖書の法則を使いこなさなければなりません。


明治の先輩たちは、
「和魂洋才」と言いました。


自分自身の健全なセルフイメージを取り戻し、
自分を真から愛することが出来た時、隣人を愛することができます。


私という現象は、
この地上世界を神の国に変えるための道具です。


 いま、私たちが豊かな暮らしを享受できるのは、
2684年前、1000年前、500年前、100年前・・・世界を良くしようと願い、
神の真理に生きてくださった先輩方のおかげです。


私も、
100年後、500年後、1000年後の世界を良くするため、
神の願いを実現するパートナーとして生かされたいと願います。


 聖書塾は、自己啓発を超えた「神さま啓発」の学びの場です。


抵抗感溢れる「聖書」を世界で誰よりも面白く伝えたいと願ってきました。

神さまが応援してくれていると信じていますから、私はやらせていただきます。

神さまが味方なら、私は何を恐れる必要がありましょうか。


 神さまが願っておられることに、人間が合わせれば、
想像を超えた恵みがやって来るでしょう。

人はそれを「奇跡」と呼びますが、
奇跡は自然には反していません、
ただ、人間の常識に反するだけです。

 さて、700キロ運転して香川から帰って来た今日は、

 青森に向かいます。

 高仁園の仲間が集まります。

 弘前の桜、キリストの墓

 そしてやっぱり意識を失うほど飲むのであろう。