今夜の飛行機で出発します。

今年最初のイスラエル。


  今年は、5回ツアーを開催します。


 「え?! イスラエル

  こんなときによく行かれますね」

と、

よく言われます。


 今だからなのです。


   もう一度言います。


 今だから、なのです。


   私たちは、どれくらい本当のことを知らず、

 知ってるつもりで生きているのか。


  それに気づいたときから未踏領域の

 人生が始まる。

 

  それが、私の体験でした。


    人生が変わりました。



 行く


   決めた人だけが行きます。

 無数の「行きたい」人に会ってきました。

  跳ね返らない場所から、石を投げる人たちです。


   でも、石に躓きながら歩く仲間たちと
  私は歩いてきたから、人生が楽しい。


    愛してやまないトルコ航空が、
  政治的な事情でイスラエルへ飛ばない。

   30名の席を新しいルートで導くのは
 容易ではありませんでしたが、
 カタール航空、ドーハ経由アンマンへ。

   そうです、ヨルダンから陸路でイスラエルに
  入るのです。

   写真は、8年前訪ねたペトラの遺跡
 あのインディージョーンズ最後の聖戦の舞台となった
 世界遺産へも行くことにしました。

  死海もヨルダンで入ります。
 誰もいない海です。

   なんと!モーセが死んだネボ山にも登る。


 

こんな旅をさせてもらうなんて、

夢にも思いませんでした。


36年前に糸川博士に出会いイスラエルへと導かれ、
ユダヤ民族は国を失って、再び建国したのだと知りました。

23年前、42歳の時に娘の万穂がアメリカに留学し、
娘から自国の歴史を知らないことほど恥ずかしいことはないと教えられました。

同時に聖書の学びも始まりました。


キリストの幕屋の創始者・手島郁郎氏の直弟子、高橋恒男伝道師から直接学び、数年間は、毎朝6時から1時間、来る日も来る日も高橋先生のもとに通いました。
工務店経営をしながらです。


工務店の社長がどうして仕事と関係ない、
「やまとこころのキャンドルサービス」なんてやったの?
と、聞かれても自分でもよくわからないというのが本当のことです。


そのための学問を修めるために大学に行けばよかったのでしょうか?


学校の先生か、学者になればよかったのでしょうか?


いいえ、
あとからわかるのです。


 私は、夢や希望や目的をもって生きることができませんでした。

無目的人間です。


学生の頃から、将来の夢などを語る同級生にずっと違和感を覚えていました。


「大した経験もなく、
  小さな枠の中でどうして将来を決めることができるんだろう・・・

 でも、何かを成し遂げたいという情熱は胸の中で燃えている。
  情熱の向こうに何があるのだろうか・・・
 知りたいから、とにかく動いてゆこう」


人前に立って、話し始める時に感じる不思議な感覚、
夢にも思わなかったことが起きている・・・

目標に向かって走ってきたわけではないけれど、
ずっと祈ってきました。

「神さま、
  私が願うことではなく、
 あなたが私に願ってくださることを、
 為さしめてください」

 一見時間も労力も無駄のように思えることが、
いまの私の感性を磨き、力になっています。


65年間が必要でした。


 いろんな「視座」が出来たおかげで、
事実はひとつですが、見方がいくつもうまれます。


同じものを見ても、聞いても、
人によって感じ方が違うのです。

感性が豊かな人は見方が豊かで、
感性が貧しい人は見方が貧しいのです。


 感性が豊かになれば、
ネガティブな感情からの解放も早いのです。


視座が増え、
視野が広がり、
行動の選択肢がまちがいなく多いから。


コップにある水を見て
「これだけしかない」と見るのと、
「こんなに残っている」と見るのでは、
まったく未来は変わります。


 感性が豊かになるためには、
「いま」
「ここ」
「自分」
を、命がけで喜ぶことでしょうね。


 まわり道でもなく、その道こそ
「道草の美学」なのです。


 私は建築には向いていないと自覚していましたから、
実際に工務店経営は苦しいことの方が多かったです。

だけど、
自分独自のあり方を模索するという尊い学びをさせてもらえました。

30年間の工務店経営を通じてたくさんの学びを得ました。

 いま、「(株)高仁 代表取締役」という新しい肩書で歩き始めた今、
こんな人生があるのだなぁと、結果として気づかされています。

 聖書で一番人生が変わったのは、

     赤塚高仁・・・私でした


  行ってきます!

   6時間の時差があるのでいつも通りにアップできないかも知れないけど、ブログは書き続けますから。