「ヤマトとユダヤが手をつなぎ
  世界を平安へと導く」

 我が師、糸川英夫の預言です。

  宮川豊和という国士が、
半年かけて、赤塚高仁の語る世界を
映画にすると立ち上がってくれました。

 これまでの私のDVDを制作してくれたクリエーターであり、パラオ、イスラエルへとともに旅した良き理解者です。


 今日が始まりです。

 北海道からスタートします。

札幌〜呉〜東京〜高知〜伊勢
  3時間講演のあと1時間の討論会


 いよいよ、やまとこころのキャンドルサービス
加速して参ります。


  「お父さん、日本のことを教えて!」
と、娘に問われたあの日から20年。

 古事記に学び、
 足の裏で神話を読み、
 知らないことも知らなかった世界を歩き続けてきました。

 初めは小さな鼓動

 やがて、
 渦巻く炎に

 日本人であることの誇りを取り戻し、
 私は新しい命をいただきました。



 知らないうちに
 私たちは
 常識という重力の中に閉じこもる

 自分が
 見ていること
 聞いていること
 それが世界だと思い込む

 でも
 知らないことも知らない世界が
 無限に広がっているのです。

 常識という重力を突破して
 銀河の向こうへ飛んで行こう!

だから、


 知らないことも知らない世界へ旅立つために、一度ふわりと羽織るのです。


 新しい世界を

   ふわりと羽織るんです


例えば、

洋服を試着するとき、好きか嫌いか、似合うか似合わないかはさておき、とりあえずふわっと羽織ってみる感じ。



 第一印象や見た目ではちょっと違和感があっても、着てみると意外にいい感じってことありますよね。



この感覚は、羽織ってみないとわかるものではありません。


 

 人との対話の中で、

「そうじゃない!」とか

「それは違う!」と叫び、

自分の意見を

押し付けてゆく人があります。


「って言うか〜」

が口癖の人がいます。



相手をやりこめて自慢げにしている姿は、決して美しいものではありません。


それは、結局対話ではないからです。



対話は価値観の違うもの同士が、少しでもお互いの距離を縮めようと謙虚に歩み寄る美しい儀式です。



人間にしかできない

素晴らしい芸術なのです。



ヤマトでは、私たちの魂は神様の分け御霊といって、大元の霊から分けられたものだと伝えられています。


だから、本当は相手も自分なのです。



でも、なかなかそうは思えない相手も多いのが現実世界ではないでしょうか。



魂の傾向性、癖があるので容易に認められないことがあります。



そんなときに

「なるほどそういう考え方があるのか」と受ける感覚が、

洋服を試着するように、ふっと羽織ってみるという感じなのです。



そのときには、受け入れるとか、嫌うとか、反発するとか、などといった思考を入れずに、ふわっと羽織ってみるのです。


 

 いつも同じ服ばかり着ていると、個性も固定されて新しい発見や発想が生まれにくくなってしまいます。



自分と同じ意見の仲間とばかりつきあっていると、衝突もしないので楽なのかもしれませんが成長も止まります。



新しい洋服を着て街に出ると、心も軽やかに、同じ風景も違って見えることもあるでしょう。



異質な思考の持ち主と付き合うと、潜在意識が刺激され、新しいスイッチがONになり、新しい発想が生まれます。


新しい扉が開きます。


思考が柔軟になります。


異質な組み合わせ、それこそ新しい自分に出会う旅の始まりです。



一度羽織ってみる。

この感覚忘れずにいたいものです。


さあ、高仁園

    全身全霊で語ります。