「願われている」ことなので

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糸川は東京と大阪、

名古屋で例会を開いており、

赤塚は東海地区の秘書兼雑用役を買って出た。

 

 

 

すると、

早朝にいきなり電話がかかってくる。

月曜日の朝だ。

 

 

「赤塚さん、昨日、(テレビアニメの)

『ちびまる子ちゃん』見た?」

 

 

「何ですか?」

 

 

 

首を傾げていると、先生はまくしたてた。

 

 

「ちびまる子ちゃん、昨日ね、年賀状書いていたでしょ」

 

 

「そうなんですか」

 

 

「ちびまる子ちゃんがあぶり出しやったよね。

あぶり出しだよ。みかんの汁絞って年賀状でね。

あれがイノベーションなのよ。

あれがファクシミリの原理なのさ。

字を出すというのは何かこすりつけたり、

刻んだり、あとは何か色をつけたりする、

それが文字を書くっていうことなんだけど、

あれに熱を加えたら字が出るっていうのはね、

すごい発明なのよ。ちびまる子ちゃんね、あれ、すごかったね」

 

 

 

ずっとしゃべっている。

ちびまる子ちゃんでイノベーションの話か、

と思っていると、散々しゃべったあげく、

「じゃ切るわ」。

 

 

 

たいてい、そういうときは原稿や講演など

の話をまとめたいときなのだ。

 

 

朝から一時間ほど突然、

激しく叱られるときもある。

理由もなく、日本経済の懸案まで

サンドバッグ状態で怒られ、そして、

「あなたにこんなこと話してもしょうがないけどね」

と切ってしまう。

 

 

 

最初のころは「なぜ俺なんだ」と落ち込んだが、

先生の講演は一時間で最低五十万円もするから、

五十万円をもらった、と思うことにした。

 

 

 

それに、『ちびまる子ちゃん』一つ取っても、

八十歳前の老人が好奇心を抱き、

違った物の見方ができる、ということ自体が

赤塚には新鮮な驚きであった。

 

 

 

ところが、その糸川がアンさんには

ちょっとしたことで怒られるのだ。

 

 

彼はなかなかモテる老人で、

女性音楽家や美人政治家の訪問を

受けることもあった。たちまち、

アンさんにこっぴどく叱られる。

 

 

 

やきもちが丸見えだ。

時には、ちゃぶ台を投げつけられて

「お前なんか死んじゃえ」と怒鳴られ、

手が付けられないほど荒れた。

先生は謝る一方だ。

最後には「そこまで言わなくていいじゃないか」

と二階の部屋にすごすごと帰っていく。

 

 

 

誰かが「先生にあれはないでしょう」と咎めると、

 

 

「ダメなのよ。あの人はみんなに調子に乗せられて。

誰かが言わないとね。人間は逆境がなきゃダメなの」

 

 

と彼女は糸川の「逆境論」を持ち出した。

 

 

糸川はクラシックが好きで、

六十歳でバレエを習い始め、

バイオリンのコンサートも開いた。

だが、彼女は歌謡曲や演歌が好きだ。

クラシックは長くて眠くなるから嫌だと言う。

 

 

 

糸川の講演会に誘われると、

「なんで行かなきゃいけないの」

と口をとがらせた。

 

 

 

「だったらさ、言っていることを一つぐらい

家でやってみろっていうのよ。

できもしないことばっかり偉そうに言うからさ」

 

 

 

糸川は、そうね、そうだね、と頷いている。

 

 

糸川は冷徹でわがままな面があり、

周りの人を平気で切り捨てるときがあった。

みんなが自分のように考え、

理解するに違いないと思っているところも欠点である。

 

 

 

しかし、現実はちっともそうじゃない。

彼女はそこを突き、

邪険にされた周囲の人々をかばったり、

包み込んでやったりする。

 

 

 

「ヒデちゃん、あんたさ、何を言ったの。

あんたのこと考えている人に、

きついことを言うんじゃないよ」。

 

 

そう言って、ベーと舌を出したりする。

 

取り巻きだった経営者の中には、

「博士ともあろう人が、あんな下品な女に」

と離れていく人もいた。

だが、糸川は気にしなかった。

 

 

 

ある朝、糸川先生が突然、

「どうして僕たちは結婚しないか話そうか」

と赤塚に言いだした。

 

 

 

いまさらどうでも良かったのだが、

耳を傾けていると、

 

 

「あのね。結婚するとね、

離婚問題が発生するでしょ。

だから結婚しないの」という。

 

 

 

「僕はアンさんと何回も別れようと思ったんだよ。

でもね、もうこれっきりにしようと言って、

橋の真ん中から両方に歩き出して、

渡り終わったらまた振り向いて一緒になっちゃうんだよね」

 

 

 

くだらないのろけ話だったが、

今思えば、結婚しないでずっと暮らしている

ことも全然おかしくないんだと、

先生は言いたかったのだろう。

 

 

・・・アホちゃうか。

でも、理屈を超えた男と女の関係

というのはあんねんなあ。

赤塚はつくづくと思った。

 

 

 

糸川は、

「アンさんは、僕にないものをみんな持っている」

とも言った。

 

 

 

それが明らかになったのは、

糸川が脳梗塞で倒れた後のことである。

 

 

(引用ここまで)

 

糸川先生が倒れてから、

何度病院に行ったでしょうか。

信州の山道を走るために、

車もボルボに替えました。

 

 

 

一度ホンダの車で雪道でスピンして、

あわや大事故ということがあったものですから。

 

 

それから、糸川先生をお乗せして

走るための車でもありましたから。

 

 

アンさんの愛の深さを知るのは、

糸川先生の闘病生活の中でした・・・

 

 

( つづく )

 

 

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