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(前回からのつづきです)

 

博麻が自分を奴隷として売ってから28年の歳月が流れ、

異国の地で消えてしまったかと思われた690年、

博麻は奇跡的に帰国することができました。

 

 

どれほどの望郷の念にかられていたことでしょう。

どんなに日本に帰りたかったことでしょう。

 

 

 

「日本書紀」には、

博麻は我が国と国交を回復した新羅の外交官とともに

日本に帰って来たと書かれています。

50歳を超えていたのではないでしょうか。

当時としては大変な高齢だったことでしょう。

 

 

 

当時は、インターネットもテレビも新聞も

ありませんでしたが、口伝えで国中の大ニュースに

なったのだと思います。

 

 

 

天武天皇の皇后で690年に即位された女性天皇、

持統天皇も大いに感激され、

博麻に御言葉を賜っています。

 

 

 

「朕嘉厥尊朝愛国売己顕忠」読みは

「朕、厥の朝を尊び国を愛ひて己を売りて忠を顕すことを嘉ぶ」

となり、いまの言葉にすると、

 

 

 

「私は、日本を大切に想い、心から祖国を愛し、

自分を奴隷に売ってでも国に対する忠誠を尽くして

くれたことを心から嬉しく思う」

 

 

 

となります。

「愛国」という文字が、我が国の歴史の中で

初めて登場した場面でもあります。

 

 

 

福岡県八女にある北川内公園には、

大伴部博麻の記念碑があります。

 

 

 

国を思う天皇、国を思う国民、

ふたつの柱が、こうして日本という国を

支えてきたのです。

 

 

 

白村江での敗戦から1300年の後、

我が国は、大東亜の戦争に敗れました。

日本の歴史上二度目の敗戦です。

 

 

 

大東亜戦争では310万人の国民が死に、

国土が焦土となり、

二発の原子爆弾を落とされるという未曽有の国難が

降り注いだのでした。

 

 

 

7年近くの占領統治をうけたのも、

日本の歴史始まって以来のことです。

 

 

 

終戦後、昭和天皇は、

天智天皇が祀られている

近江神宮へ勅使を遣わしています。

白村江の敗戦の後の復興をなさった

天智天皇へ誓いをたてられた

昭和天皇の御決心が伝わってきます。」

 

 

(引用ここまで)

 

 

 

天智天皇は、38代天皇であり、

即位される前、皇太子のときには、

中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)

と呼ばれていました。

 

 

 

そうです、

645年「大化の改新」を成し遂げ、

日本初の元号をとりいれたのが、

その天智天皇です。

 

 

 

日本の在り方を確立した天智天皇ですが、

我が国史上初の海外での敗戦を体験し、

その立て直しをなさいました。

 

 

 

米国に敗れた先の戦争の直後に、

昭和天皇が真っ先に勅使を近江神宮に遣わしたのは、

日本復興のための天上界からの応援を頼まれた

のではないかと、私は思うのです。

 

 

 

日本は、天皇の「シラス」国です。

武力や権力、力で統治する「ウシハク」世界でなく、

高天ヶ原の神々の絶対善、

光の国を地上に実現しようという

天照大神の願いがかけられて建国されました。

 

 

 

初代神武天皇の建国宣言

「八紘一宇」

もシラス世界の実現への祈りです。

 

 

 

大化の改新は宮中でのクーデターであるかのように、

学校教科書は書いています。

 

 

 

挿絵には、中大兄皇子が刀を抜き、

蘇我入鹿の首が飛んでいる場面が描かれている

ものもあります。

 

 

 

そもそも、

クーデターというのは身分の低いものが、

体制に対しぶつかってゆく革命であって、

不届き者を皇太子が成敗するという

「大化の改新」は誅殺というのです。

 

 

 

教科書が間違ってちゃ困りますね。

 

 

( 次回につづく )

 

 

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