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前回からのつづきです。

 

 

私と聖書の第一次接近遭遇はこんな風でした。

 

 

 

1989年7月、私は、

日本の宇宙工学の父、

ペンシルロケットの産みの親である

糸川英夫と出逢った。

 

 

 

私が29才、糸川が76才の時だった。

 

 

 

東京世田谷上馬にある糸川の自宅を

訪ねることになったのは、

プロの和太鼓奏者の友人の導きであった。

 

 

 

バブル景気に沸く時代の中で、

糸川は日本の将来に警告を発し続けていた。

 

 

 

日本が商品として世界に売っているもので、

日本が発明したものなど何もなく、

すべてマネをして小さく、上手に、安く、

大量に造ることでお金儲けをしている。

 

 

そのことが、

将来大きなしっぺ返しとなって

我が国を襲うだろうと言っていた。

 

 

 

自動車も半導体もテレビも

日本人が発明したものではない。

 

 

だから、発明した人たちへの

感謝と敬意を忘れてはならない。

 

 

 

独創力を磨くことなく、

お金儲けが一番の価値であるかの如く

突き進む日本は、

やがて精神的荒廃の末、

滅びてしまうと糸川は危惧していた。

 

 

 

科学者に経済のことなどわかるものか、

と世間は糸川に冷ややかな態度を取っていたが、

糸川はこう言っていた。

 

 

 

「ロケットも経済も上がったものは落ちる。

それが、宇宙の法則です。だけど、

大事なことはどこに落ちるかを計算して、

そこからどうするかという未来予測をすることです」と。

 

 

 

当時糸川は、米国、フランスの大学で教えており、

海外から見た日本の姿に危機感を募らせていたのだった。

 

 

 

「お前の国はまるでブラックホールだ。

外国で発明されたものを取り込むだけ取り込んで、

自分の国からは全く光を出さない」

 

 

 

海外の博士たちからそう言われると、

返す言葉がなかったそうだ。

 

 

当時を振り返って、

糸川は苦しそうな表情を浮かべた。

そんなときに糸川は和太鼓と出会ったのだった。

 

 

 

和太鼓の響きこそ、

まさに独創的な日本の希望の光だと感じたという。

 

 

 

イスラエルという国こそが、

日本が手をつなぎあうべき国

 

 

 

イスラエルと日本が手をつなぐことで

世界は平安に導かれてゆく

 

 

 

と直感していた糸川は、

独自の交流を通してイスラエルとの関係を

深めていた。

 

 

 

国を滅ぼされて、

国を失ったユダヤの民が流浪しながら

耐え忍んだ苦悩を思うとき、

 

 

太鼓をイスラエルにもってゆき、

ユダヤ人へのレクイエムとしたいと

糸川は願った。

 

 

 

それで、

私の友人の太鼓打ちを家に呼んだのだが、

彼に誘われてついていった

私の運命は大きく変えられてゆくのであった。

 

 

 

そのときの出逢いが、

人生を根っこから変えてしまうことがある。

 

 

 

世田谷の博士の家に向かう私は、

まさか自分の人生が根っこから変わってしまう

とは知る由もなかった。

 

 

( つづく )

 

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