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2000年前、

イスラエルが滅びる最後の場面はこんな風でした。

 

 

 

死海沿岸にそそり立つ高さ

400メートルの岩山は、

 

 

 

西暦73年ユダヤの民がローマ軍との

最後の戦いを行った要塞で、

マサダと呼ばれ世界遺産にも指定されています。

 

 

 

紀元70年 

エルサレムの神殿が破壊されて、

逃げ延びた967人のユダヤの民は、

三年間ここに立て篭もりました。

 

 

 

自然の要塞でもあるマサダは、

大きな貯水槽を備え、

農耕まで行う自給自足の砦であり、

当時の武器である岩の大砲の弾も

造りだすこともできました。

 

 

 

それに対するローマ軍は一万人。

ユダヤ人を奴隷に使いローマ軍は、

周りの山を削り、

マサダの頂上向けて土を盛り、

三年がかりで路をつけてきました。

 

 

 

ついに明日にはローマ軍が侵入してくる・・・。

 

 

 

その夜、

指導者エリエゼル・ベン・ヤイールは、

男たちを集めて演説した。

 

 

 

「ローマ軍に殺されることや、

捕虜となって辱めをうけることよりも、

唯一の主なる神に命を捧げ、

ユダヤ民族の誇りを護るため自決の道を選ぼう」と。

 

 

 

まず男たちが家に帰り、家族を殺した。

その後もう一度集合し、

くじ引きで十人が選ばれ残りの仲間を刺し殺した。

 

 

 

それから、二人一組で相手を殺し、

最後のくじ引きで選ばれた一人が残った仲間を殺し、

自害して果てたのだ。

 

 

 

翌朝ローマ軍が三年間の鬱憤を晴らそうと、

虐殺に息を弾ませ要塞に乗り込んだとき、

そこで目の当たりにした壮絶なる光景に息を呑んだ。

 

 

 

戦うべきユダヤの民は、全員自決していたのだから。

 

 

 

それも決して、飢えや絶望で死んだわけではないのだ。

食料は、十年分の蓄えがあったそうです。

水も四万トンの貯蔵、武器も山積みにされていたといいます。

 

 

 

これらの事実は、

水を汲みに行って洞窟にいた二人の女と、

物陰に隠れていた五人の子供によって

明らかにされました。

 

 

 

この時以来、

イスラエルは人類の歴史から姿を消し、

ユダヤ民族は国を失い、

世界の各地に散らされていきました。

 

 

 

国を失った民族が、

どのような運命をたどるのかは、

歴史が証明しています。

 

 

 

ユダヤ人であるというだけで迫害され、

殺されていきました。

 

 

 

しかし彼らは、

再びユダヤ人国家を建国する希望を胸に

2000年のときを生き抜きました。

 

 

 

1948年5月14日、

イスラエルは再び建国。

 

 

 

18歳になると国民皆兵となる

イスラエルの軍隊の入隊式はマサダで行われます。

 

 

 

マサダでの2000年前の出来事を、

まさに昨日のことのように語り伝えるのが

記憶の民、ユダヤ民族なのです。

 

 

二度とマサダの悲劇は繰り返してはならない。

 

 

( つづく )

 

 

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