パウロは聖書の中で

人のすべての考えにまさる神の平安」と言っています。

 

大手ゼネコンで、営業をしていた20代のとき、

私はうつ病になってしまいました。

 

かなり重症で、会社を辞めることになりました。

 

 考えて、考えて、

過去の後悔

未来の不安

 「いまここ」からすっかり離れてしまい、

エネルギーがじゃじゃ漏れになってしまいました。

 

 自分に向き合うスタミナもなく、

苦しみから逃げようとしているうちに

逃げ場がなくなったのでしょうね。

 

性格は、今もそう変わりはありませんので、

すぐに逃げるくせはそのままですが・・・


 

いい学校に入り、良い会社に入ることが人生のステータスだったのですが、

うつ病でそれらを失ったように思ったのでしょう。

 

28歳の時に自殺を図ります。

睡眠薬を数十錠、日本酒で流し込み、手首を切りました。

ためらい傷もない深さでしたから、

おそらく少しでも遅かったら、

いまこうしてブログを書いてることもなかったでしょう。

 

不思議に、締め切ったはずの部屋に寛子さんが窓から入ってきて、発見されました。


それから、一か月精神病院に入院するのですが、

初めは絶望でしたね。

悲劇的な喪失だと思いましたから。

これまでの人生のすべてを失ったと思いこみましたからね。

社会的な地位も、「何も」残されてない限界的状況と思いました。

 

 何に自分を同一化していたにせよ、

何を自分自身であるかと思いこんでいたにせよ、

それが奪い取られたのです。

 

東京六大学出身、大手ゼネコンの社員・・・

自分勝手につくりあげてきた「私」という錯覚です。

それらが失われて、しかも、死ぬこともできず、

精神病院の中で、

なぜだかわからないのですが、

当初感じた苦悶や、恐怖に代わって、

ふいに深い安らぎと、心の自由を感じました。


 

この安らぎは、筋が通らず、こんなことになったのに、どうしてこんな安らぎが感じられるのだろうかと問いました。

 

状況や他人や運命を呪うこともできたでしょう。

怒りや恨み、自己憐憫を失ったものの代わりに「私」として同一化することも常に習い性になっています。

しかし、そうした抵抗をせず、いまここを受け入れたとき、

勝手に作り上げた「私」が死にました。

 

 悲劇的な喪失にぶつかったとき、

抵抗せずにあるがままを受け入れると、

意識の新しい次元が拓くようです。

 

私の運命は、あのときから変わりました。

条件づけされていない意識が、私を支えてくれたようです。

そんなとき、状況や人々が協力的に展開し、

不思議な偶然が次々おこります。

 

 人の最悪は神の最善

 

抵抗の放棄とともに訪れる平安と静寂、

それこそが神のもとでの安らぎでしょうか。

いまいちど、思いだしたいものです。

 

 


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