登華殿で

帝や定子さまと

雪山を作って

遊んでいた

 

公任・斉信・行成

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さま

藤原家の公達で

極官は

権大納言または大納言

 

もう一人

源 俊賢を加えて

一条朝の

四納言

と称されました

 

 

いずれも

能吏との

賞賛あっての

呼称ですね

 

 

 

 

この四人が

いつからいつまで

蔵人頭を務めたのか

探っておりましたら

 

ナナなんと

綺麗に四人が順に

務めておりました

 

公任 989〜992

俊賢 992〜994

斉信 994〜995

行成 995〜996

 

の順です♪

 

 

蔵人頭とは

位はさほど高くない

ものの

 

帝に近侍して

大臣などの公卿や

母后や先帝などとの

伝令に使われる

 

秘書課長のような

お役目で

ありました

 

その役目を得て

万人が

嬉しく思うもの

だったようです

 

さらに在任中

帝に気に入られたら

その後の出世にも

影響がありましたので

 

真面目にお勤めした

らしく思われます

 

ドラマの現在地は

源 俊賢が

蔵人頭の時代で

チラチラと

その姿が見えます

 

火事を知らせに

帝と中宮の

寝所近くにまで

やって来たのも

俊賢でした

 

俊賢は

明子女王の異母兄で

源高明の子息です

 

ちなみに

 

行成のあとは

源 経房

明子女王の同母弟

でした

 

 

 

 

 

さて

この四人

 

私にとっては

気分的に

 

なんなら現実の

親戚の伯父さん

以上に

近しい存在

 

でして

 

何故なら

みなさん

枕草子に頻繁に

登場するからです

 

 

まずは

公任さま

 

この方は

本当に才気溢れる

貴公子だったのです

 

漢詩・和歌・管弦

 

何をやらせても

苦もなくこなす

オーラが眩しい

スーパースター

 

言っていいでしょう

 

清少納言も

メロメロです

 

 

 

 

公任さまは

源俊賢と一緒に

登場します

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斉信さんは

しょっちゅう

出て来ます

 

清少納言と

付き合っていたの

かしら?

 

って

思うほどです

 

ドラマでも

斉信のシーンに

清少納言の表情が

差し挟まれて

 

ん?って

なりませんでしたか?

 

 

まあ

元夫の橘則光が

斉信家の家司

だったりしたので

 

近しかったのだ

と思います

 

昔からの

長い付き合いだから

相手も絡んで来るし

 

って感じでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

私は、この

「ワカメでも食ってろ」

に出てくる

斉信が

なんだかんだ言って

除け者にされてるのが

面白いなと思ってます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行成くんも

よく出てきます

 

でもまあ

彼は

弟キャラでしょうか

 

でもね

行成の日記

「権記」には

清少納言のことが

一言たりとも

出てこないんだそうです

 

まあね

道長の

「御堂関白記」にも

 

明子女王は

ほとんど

記載がないそう

ですから

 

御堂関白記は

土御門第の日記で

そこじゃ

明子女王のことは

書きづらい

のだろうって

 

ことになってて

 

なるほどな

と思うと

 

あれ?

 

ただの一回も

出てこないってことは

 

逆に

まぢで

怪しいやつかな?

 

な〜〜んてね

 

行成が出てくる段で

一番好きなのはコレ

 

字を書くのが

お上手だったって

いうのは

本当に有名ですよね

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに

行成の次の

蔵人頭の

源 経房も

よく登場します

 

この人も

弟キャラです

 

 

「枕草子」が

世に出るきっかけを

作ったのも、

経房くんです

 

私はいつも

ツネちゃまって

呼んじゃってます

 

 

 

 

こうした人たちが

中宮定子のサロンに

頻繁に出入りしていた

 

ということが

 

定子のサロンが輝けば

道隆の政(まつりごと)も

輝くと言った

貴子の目指す

 

輝かしい

後宮のあり方

 

だったのかも

しれませんけれども

 

東三条院 詮子

あたりから

見たら

 

軽佻浮薄以外の

何物でもなかった

でしょうね