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聖書研究ブログ

聖書はキリストを証しています(ヨハネ5:39)。キリストを知らなければ神を知ることはできません。そして、復活されたキリストは、まもなく再臨されることになっています。天で審判が行われています。死んで眠っている人も生きている人も、永遠の生か死に分けられています。

※Ⅱ父祖アブラハムとイサク 11:26-26:35  
A. アブラハム 11:27-16:16
A-1 召しとカナンへの旅。 11:27-12:9
A-2 エジプトでの経験 12:10-20
A-3 ロトとの分離 13:1-18
A-4 ロトの救出、メルキデゼクと出あう 14:1-24
A-5 神との契約 15:1-21
A-6 ハガルとの結婚、イシマエル誕生16:1-16


9月は1度しかブログの更新ができず、情けなく思います。
先月から家庭と教会のいろいろなことで忙しくしておりました。
大変申し訳ありません。

前回のブログで、


アブラハムの高潔で無我の精神をみることができます。

 

親族関係だけでなくても、このよう精神があるならば、関係が崩壊したり分裂することはなかったことでしょうが、なんと多くの人々が自分の権利や主張を優先することでしょうか。

 

『自己主張はサタンの精神である。しかしキリストの愛の心を持つ者は、自分の利益を求めない愛を持つようになる。そうした人は、「おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい」という勧告を心にとめるべきであろう(ピリピ2:4)。』 (人類のあけぼの上巻p.133)


と書いていました。まさにこのような出来事が重なり、私の心痛が重なり、いまだに心が癒えませんが、弱音ばかりを吐くこともできませんし、何と言っても主がすべてをご存知です。主に介入していただかなければ・・・・、教会との関係や人との関係の崩壊は怖いです。教会から離れることはサタンの道に入ることを意味します。それがわかっていながら、
自分の主張を誰一人曲げたくないのです。もちろん私を含めて。

そこには思いやりや愛は存在しないようですね。忍耐もないし。

私も勉強の途中であって、わからないことだらけ。人の話を聞くことの多い私でしたが、さすがに
今回は意気消沈。少しうつ気味です。サタンの攻撃を感じます。キリストの品性に近づくどころか・・・・誰一人、私の心を理解する人はいませんでした。主だけ。

生きているといろいろな出来事がおこりますね。

自己主張。

アメリカ人は自己主張しなければ、弱虫と思われるので、自己主張すると言います。
すべてが勝ち負けの世界?そこではすでにサタンの勝利を意味しているのでしょうか。


『自己主張はサタンの精神である。しかしキリストの愛の心を持つ者は、自分の利益を求めない愛を持つようになる。そうした人は、「おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい」という勧告を心にとめるべきであろう(ピリピ2:4)。』


キリストの愛の心を持つということは何と難しいことでしょうか・・・・
主は今回の事柄で、このことを教えられていたのでした。
でも、牧師も誰一人として、この精神を表した人はいませんでした。
このことを理解しなければ、どこでもいつでも誰でも関係が壊れてしまう。
これがサタンの策略だった・・・・

黙秘が一番よかったのでしょうか・・・・言い方もあるとは思いますが。私もはじめは静かにお願いしていました。でも、その願いは聞いてもらえませんでした。
障害者の娘が関わっていただけに、今回のできごとは、親として、黙っているわけには行かなかった。理解を求めましたが、それは無理なことでした。いつも私がやっているように、人の話をだまって聞く姿勢を貫けばよかったのか・・・・声を荒げなければ、聞いてくれなかった。すると怒鳴ったという。
人というものは、なぜか聞いてくれる人を求めています。
聞いてくれない人が多すぎるからでしょうか。聞く人なんてほとんどいません。
今日、このピリピの聖句と、自己主張の精神を読んで、主は悟りを与えて下さった。
感謝と賛美は主のものです。 

アーメン!!


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