■注解 (2からの続き)
5.創世記1:27 人間は全く新しい、異なった被造物
『全天が世界のそして人間の創造に対して、深く喜ばしい関心を抱いた。人間は全く新しい、異なった被造物であった。彼らは「神のかたち」に造られた。そして彼らが地球に住みつくことは、創造主の意図されることであった。』(レビュー&ヘラルド1902年2月1日)
6.創世記1:29 (詩篇104:14)、我々の手に果物を置いてくださる神
『主は木々やつるにご自身の生命をお与えになった。彼の言葉は土地の果物を増加させるか、あるいは減少させることができる。もし人が自然と自然の神との関係を明らかに理解するなら、創造主の力に対して心からの感謝が聞かれるであろう神の生命がなければ、自然はみな死ぬのみである。
彼の創造の業は、彼に依存している。自然が作り出すすべてに生命を与える特性は、神が与えるものである。我々は果物でいっぱいになっている木を神の贈り物とみなすべきである。それは、神が我々の手に果物を置いてくださることと同じである。』(原稿114、1899年)
■第七日目―創世記2:1-3 安息日の制定
1 こうして天と地と、その万象とが完成した。
2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。
3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
1日1日の作業をされ夕となり朝となって、、第七日目を創造の記念日として聖別され、また祝福されたと書かれています。多くの地質学者や考古学者たちは、地球の年齢を何の根拠もない、気が遠くなるような数字を提示しているのと比べ、何と明瞭で簡潔なのでしょうか。
『聖書歴史を通じて維持され受け継がれてきた字義通りの七日間(6日間働いて、第七日目に休む)という一週間の周期は、最初に七日が定められたという大いなる事実に源を置いている。』(キリストへの道3)
安息日に関しては、聖書全巻を通して、重要な聖日として神の民はそれを守って来ました。彼らは、この安息日の重要性を、預言者たちを通して、あるいはその記録を通して、学んできたからでした。現代に生きる私たちも、真のキリスト者となりたいのであれば、この日を守るという結論が出ると思います。なぜなら、この安息日は、キリスト者を見分ける基準となっているからです。エゼキエルはそのことをはっきりと記録しています。安息日については、後日詳しく研究することにしましょう。
アーメン!!