前回、『次は具体的な見直し論議について書きます。』と書きましたが、
書けるか!そんなもんー!!
と逆切れして数日経ちました。
そろそろ落ち着いてきたので、また書いてみたいと思います。
年金改革のさまざまな論点は、平成15年9月の社会保障審議会年金部会の
「年金制度改正に関する意見」で総括的に集約されています。
そこでは、年金改革の基本的視点として、
① 持続可能な制度 ← このままではパンクしてしまう年金財政
② 制度に対する信頼の確保 ← 高齢世代と若い世代の不公平感、未納三兄弟
③ 多様な働きかたへの対応 ← (年金を払わなくていい)パートが年々増えてきたので、政府としてはと りっぱくれがないように…
④ 個人のライフスタイルに対する中立的な制度 ← いっとき、朝のワイドショーなんかで、専業主婦と働く女性のバトルが繰り広げられてましたねえー
⑤ 他の社会保障制度や税制等との整合性 が掲げられていました。
こうした視点はおおかた的を得ていますが、もっと議論してほしかったことが、2つあります。
1つは、国と個人、国と民間の役割の明確化
2つめは、不公平感の解消 です。
【一つ目】国と個人、民間の役割の明確化
そういう超高齢化社会で、国民の老後の不安を解消するため、
国はもっと積極的な役割を果たすべきではないでしょうか?
具体的には、最低生活分の年金は保険料によるのでなく、国が税金でみるべきだと思う。
(基礎年金の税方式化)
これに対して、政府は否定的です。
1 わが国は社会主義ではない、自助・自立の自由主義経済社会だから、保険料を支払わない者に年金を給付するのは適当でない
2 税方式にすると、(同じく税方式の)生活保護との違いがなくなる。
私としては、働けるうちはともかく、年とって働けなくなったら最低生活くらいは国が面倒をみるべきではないかと思っています。
「健康で文化的な最低限度の…」の憲法第25条からもそう思う。
また、税方式にすることによって、未納問題や第3号被保険者(専業主婦)の問題がなくなるメリットもある。
一方で、国の役割は最低保障に限定し、それを超える分は民間にゆだねればいい。(民営化)
今は所得比例部分も政府が管理しているが、私なんか、それこそ社会主義的発想ではないかと思ってしまう。
多くの国民が年金だけで将来生活していけるか?と不安を抱く一方、
竹村健一のように、「わしみたいなもん(金持ち?)は、ほんまは年金なんかいらんのになあ」と言われる人もいる。
(もっとも、じゃあ返上したら?と黒岩キャスターにつっこまれると、「いやいやまあそれは…」とお茶を濁していたようだが)
逆に最低保障だけではいやだ、もっと優雅な老後生活を過ごしたいという人は、民間の年金保険に加入すればよい。
このように、最低保障を超える年金については、どれだけ支払ってどれだけもらうかを各個人で選択、決定すればよいのでないか。
国はそういう部分まで関与しない。まさにそれこそが自助・自立の精神であろう。
なお、この場合、高額所得者・資産家で将来年金なんかいらんわい、という人にとっては、
今のように所得に比例して多額の保険料を納めることはなくなるので富裕層優遇といわれそうだが、
そこは税金をひきあげればよいl。(上記の基本的視点の⑤)
また、年金と生活保護との違いがなくなるという議論については、「べつにいいんじゃないの!?」と思ってますが、どうでしょうか?
どちらも憲法25条に基づく最低生活の保障と考えれば、現役世代の生活保障が「生活保護」であり、退職後の保障が「年金」であると考えればよいのでは、と思います。
ただし、老後の最低保障は一律定額で考えることができても、生活保障は対象者の資産状況に応じて個別に計算することになるので、最低保障年金方式をとっても両者の計算方法は異なることになるでしょう。
【2つめ】不公平感の解消
…次につづく