- 太古の昔から言はあった
初めに言があった(新約聖書ヨハネ1:1)
言がわたしたちひとり一人に与えられたとき、
言は言葉として
じつに多様な言の葉を生いしげらせた
言が幹とするならば
わたしがいま使っているのは、小さな小さな一枚の葉っぱなんだろう
新緑の葉もあるだろう
赤茶けた、夏の陽に乾いた葉もあるだろう
紅色に色気づいた晩秋の枯れ葉もあるだろう
その一枚一枚に魂がありいのちがある
葉の一枚一枚を陽の光にかざしてみると、その葉脈が
まるで、わたしたちひとりひとりの血管の走る様だ
言葉も同じなんだろう
一枚として同じ葉脈はなく、
各々の民族に、一つとして同じ言葉は与えられていない
日本語、ケセン語、アイヌ語、ギリヤーク語、ウチナーグチ…
そして、数えきれない人々の言葉がある
その多様性を多様性のままにつなぎとめているのは、
言うなれば"言霊"(ことだま)とでも言おうか
聖書によれば、"聖霊"と呼ばれる未知の輝き すべての相違を肯定に変える
神はことだま(聖霊)をわたしたちにお与えくださり、
"多様であること" "違うということ"の豊かさを、わたし自身に
教えてくれているのだと、わたしは思う
- いえす『ことば 言葉』
8月3日 病床にて。


