仏像の調査 | 花咲く祈りの寺☆清瀧寺

花咲く祈りの寺☆清瀧寺

山号を雲光山、院号を華蔵院、寺号を清瀧寺といいます。
平安時代、大同2年(807)の創建と伝えられています。
茨城県南部守谷市、鬼怒川のほとりに建ちます。
境内は四季折々様々な花が咲き乱れる、総合霊場が特徴の寺院で『花咲く祈りの寺』です。

おはようございます♪

昨日は12月の気温だったようで…とても寒かったですね~(*_*)

体調管理を気を付けなくてはいけませんね(((^^;)


先日とあるお堂に祀られている仏像について説明をして欲しい…との要請を受けて仏像の説明ならびに調査に行ってきました(^^)

地域の言い伝えでは、観音菩薩座像とされておりますが…


伝・観音菩薩座像

言い伝えでは、江戸時代からずっと『かんむりかんのん』と呼ばれ、観音様とされておりますが…

通常、観音様といえば聖観音(しょうかんのん)のような菩薩相をしています。


聖観音・清瀧寺供養壇

聖観音の持物は未開敷蓮花(みかいふれんげ)開きかけた蓮を持っています。

菩薩なので瓔珞(ようらく)と呼ばれるネックレスや化仏の付いた宝冠などでかざられている場合が多いです。

そして菩薩の修業をされているので立像が多くなります。

しかし、こちらの座像は…菩薩相に当てはまりません(((^^;)


頭上に冠をかぶるところまでは良いのですが…
首から下は如来相となり、印は定印を結んでいて、釈迦如来のように見えます。

通常釈迦如来がかぶることのない宝冠をかぶった釈迦如来…『宝冠釈迦如来』(ほうかんしゃかにょらい)の可能性が高いと考えられます(^^)

宝冠釈迦如来は禅宗系の仏像で、華厳経で説かれている、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と釈迦如来が異名同体であるということから登場した仏像です。


では、なぜ観音様とされているのか…

おそらくは、長い間秘仏で人の目に触れず…両脇の脇侍仏(きょうじぶつ)から判断したのかもしれません…ちなみに脇侍仏は不動明王でした。



清瀧寺・千手観音の脇侍・不動明王

観音様を本尊とする場合の脇侍仏は、地蔵、不動、毘沙門天のいずれかとなりますので、脇侍仏で判断したのかもしれません…(((^^;)


観音様ではなく、宝冠釈迦如来とするのが妥当ではありますが…

江戸時代から長きにわたり観音様として信仰されてきたこちらの像には、先人達の観音様への思いが込められているのだと思います。

そのお心を大切にするためにも、これからも観音様としてお守りいただきたいとのお話しをさせていただきました。

この先も永く観音様の御加護があると良いですね~(^^)

今日も皆さまにとりまして素晴らしい日となりますよう☆
お祈りいたしております(^人^)