法話 奈義町長寿大学 | 晃輝和尚のブログ「覚禅堂」

晃輝和尚のブログ「覚禅堂」

岡山県津山市にある曹洞宗少林寺住職、
清涼晃輝のブログ

本日は、奈義町長寿大学(65才以上の生涯学習)で講演です。
 
法話「禅の生き方を学ぶ」 80分
 

 
50名程のご参加。

驚いたのは、9割の方が蓮光寺(奈義町高円)をご存じだったことです。

小さな寺で地元でもご存じない方が多いと思っていました。

しかし、それは私の思い込みで、以外な結果で嬉しかったです。

きっと祖母が小学校教諭やこの長寿大学で学んでいたためだと思います。

偉大な祖母のお陰で、ここはホームだと思え、楽しくお話しさせて頂くことが出来ました。

 
今回、檀家のTさんよりお話を頂き、講演となりました。
私自身、PowerPointを本格導入しての法話チャレンジは、とてもよい経験になりました。
ありがとうございました。
 
「そもそも仏教とは何か?」
お釈迦様のお覚りと教え。
仏になる教え。
職業ではなく「生き方」。
 
「日本仏教の宗派の違いは何か?」

宗派(伝統仏教十三派)が分かれるのは、歴史や時代背景などが大きく影響します。

お釈迦様の教えを基にしていますが、中心になる思想が違うわけです。

 

私流で違いをわかりやすく、

一言であらわしますと…、

 

華厳宗は、全てみんな繋がっている。

法相宗は、全ては心の顕れにすぎない。

律宗は、とにかくルールをまもろう。

 

天台宗は、総合的に学び覚りを目指す。

真言宗は、大日如来と一体化して成仏。

 

融通念仏宗は、全ては念仏で繋がりあう。(毎日念仏を唱える)

浄土宗は、念仏を唱えれば救われる。(ひたすらに唱える行)

浄土真宗は、全ては阿弥陀如来にお任せ(阿弥陀仏の呼び声を称える)

時宗は、一緒に念仏して踊りましょう。(我を捨てて、となえる)

 

臨済宗は、坐り考えて目覚める(坐禅対話で受け継ぐ看話禅)

曹洞宗は、ただひたすらに坐ることが仏(無心に坐り行ずる黙照禅)

黄檗宗は、坐禅と念仏で阿弥陀仏にであう(坐禅と念仏で禅浄一致)

 

日蓮宗は、法華経こそ一番救われる。

 

 

「いす坐禅 体験」
 
 
「禅の生き方」
 

仏様・仏教徒のお名前を「戒名(かいみょう)」と言います。

 

仏様から師匠へ伝わった戒を授かるのです。

人には悪い心が起きるため戒める戒律(ルール)があります。

 

曹洞宗では「十六条戒(じゅうろくじょうかい)」があります

 

 

まずは、罪を悔い改める「懺悔(さんげ)」

6つのお誓い「誓願(せいがん)」

10の戒「十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)」があります。

 

今までの罪とがを認め、素直な心で、悪いことはせず、善いことに励み、世の中に貢献します。

と仏様へお誓い致します。

そして、仏の弟子となり、戒名を授かります。

 

 

「父母師僧三宝に孝順せしむ 孝を名づけて 戒となす また制止と名づく」

 

 

孝行することが戒なのです。制止とは落ち着くということです。

 

仏の善悪は、私が善く、あなたも善く、周りも善いことです。

私がよくてもあなたが嫌ならば、押しつけです。一方的で偏っています。

 

今もコロナで自粛生活が続きます。

自粛警察、時短警察など、配慮を欠く言動や尋常でない同調圧力は社会問題になっています。

感染予防と差別偏見のない社会は、一人一人の意識と行動が大事だということが、今、多くの国民が実感しています。

 

気をつけることばかりで、あれもこれも、やってはいけないことが「戒」だとすれば、息がつまります。

自らすすんで、相手を思う優しい行為や心が孝行です。

ただ、進んで善いことをすれば、自然と悪いことはしていない。

戒と孝は一体なのです。

 

自分が笑って暮らしたければ、相手にも笑ってもらう。

なかよく過ごしましょう。

 

「授とは伝なり」

私たちはたくさんのご縁を授かり、ここまで伝わりました。

 

「伝とは覚なり」

私に伝わっているのだから、それを自覚して、善き仏の心に目覚めよう。

 

「覚とは造なり」

気付いて目覚めたならば、善い仏を、自分、自分たちで、しっかりつくり育てよう。

 

私が私自身で仏をつくっていくのです。

それは仏を学び真似をする。

自分のそろばん勘定の勝手な都合でなく、とやかく言わず、難癖つけず、我欲を捨て、ただ素直な心で受け入れる。

すると自ずと仏は出来てくる。

と仏様方は教えて下さっているのです。

 

 

<まとめ 禅の生き方を学ぶ>

お釈迦様が、坐禅の修行に精進され、悟りを開かれたことを見習い学びます。
禅とは物事の真実の姿、あり方を見極めて、これに正しく対応していく心のはたらきを調えること。


坐禅で身・息・心の調和をはかります。
何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅や修行をするのではありません。

 

坐禅をする姿、善い行為や心そのものが「仏の姿」であり、悟りの姿なのです。
私たちは普段の生活の中で自分勝手な欲望や、物事の表面に振りまわされてしまいがちです。

 
毎日の生活の中の行い一つひとつを坐禅と同じ心(調和)でつとめ、それを実践し続けることが、私たちにとっての修行なのです。


これが、禅の生き方であり、仏の生き方なのです。仏になる教えが仏教なのです。

 

このように、素直に、仲良く、安らかな暮らしをおくる実践が、禅の生き方なのだと、日々仏様より教わっております。

 

 

法話の一部をご紹介致しました。

 

また、いつでも、どなたでも、ご希望があれば、お話しさせていただきます。

お気軽にご相談下さい。
info@shorinzenji.com

℡0868-57-2303

 

Tさん、また誘って下さいね。

 

清涼晃輝 合掌