肩をさすってやってるうちに、ノゾムの震えが止まっていった。俺の手を握りしめていたのも、少しずつ力が緩んでいく。
「……ごめん、手、痛かったよね」
「気にすんなって。ノゾムの力で折れるほどやわじゃないから」
俺が笑ってやると、ノゾムも口の端を少しだけ上げた。
ホント言うとちょっと痛かったけど、でも普通の子どもの力だ。デジモンを吹っ飛ばせるような力はない。
今のノゾムに過去のような力がないのか、それか力の使い方を忘れているのか、どっちかだ。
立てるか、と聞くとうなずいて立ち上がった。
「まだ、進めるか?」
俺がそっと聞くと、ノゾムは辛そうに眉を下げた。
「ホント言うと、この先を知るのが怖い」
「だよな」
ノゾムのせいで町が破壊されて、ディノビーモンやララモンとの仲は最悪。次の記憶を見たら全て解決してました、なんて甘い話にはなりそうにない。
「でも」
ノゾムが俺をまっすぐに見る。
「ここで引き返せない。僕が誰なのか知らないと、ユピテルモンが僕に何をさせようとしてるのか分からない。昔のことを思い出すのは怖い。でも、今自分に起きてることを知らないのは、もっと怖いんだ」
「さすが俺の旅の相棒。たくましいこと言うようになったな」
俺が軽くからかうと、ノゾムもいたずらっぽく笑った。
俺は表情を引き締める。
「よし、上の階に行こう。どんなユウレイ現象が待ってようと、ユピテルモンの罠が待ってようと、まとめて乗り越えてやろうぜ」
ノゾムの部屋の端には階段が備えつけてあった。上の階に続いている。俺が先に立って、階段を上がりだした。
「ねえ、信也が人間世界にいた時は、どんなヒトと住んでたの?」
歩きながら、ノゾムが明るい声を出した。重い話題から気分をそらしたいんだな、と思った。
俺も調子を合わせて、そうだなあ、と答える。
「俺んちは父さんと母さんと兄貴と俺の四人家族なんだ。えっとつまり、俺を育ててくれてる人間が二人と、俺よりちょっと年上の人間が一人いる」
デジタルワールド育ちのノゾムに合わせて、言い方を変える。
「父さんは仕事で遠くに行くことが多いからあまり会えないんだけど。休みの日は一緒にサッカーの、俺の好きなスポーツの練習したり、遊びにつれていってくれたりする。母さんはうちの家族の中で一番よくしゃべるんだ。ちょっと口うるさいって思うくらい。あと、誕生日には手作りケーキ焼いてくれる」
俺がデジタルワールドに旅立った日は、ちょうど俺の誕生日だった。母さん、好きなイチゴをたくさん乗せてくれるって言ってたっけ。
階段は途中でがれきでふさがっていた。仕方なく来た道を戻る。
「兄貴は、拓也っていう名前でさ。勉強は俺と同じくらい苦手だけど、サッカーはすごく上手いんだ。俺がサッカー始めたのも、兄貴の試合観ててかっこいいって思ったからなんだ。デジタルワールドでも有名なんだぜ。十闘士の炎のスピリットを受け継いで、この世界を救ったんだって。前もちらっと話したっけ?」
家族のことを考えると色々思い出して、言葉がどんどん出てくる。
そんな俺の話を、ノゾムは嬉しそうに微笑んで聞いてくれた。
「信也はそのヒト達のことが好きなんだね」
「えっ?」
単刀直入に言われて、俺は思わず立ち止まった。
いつもは兄貴のこと聞かれても、悪口か俺はあいつに負けないんだとか、そんなことばかり言っていたのに。
今は兄貴のいいところばかり話していた。ノゾムを元気づけるために明るい話を選んだ。いや、それだけじゃない気がする。
「……うん、俺、家族が好きだ。兄貴も、父さんも母さんも」
言葉にすると、自分でもそうなんだと思えた。
炎のスピリットを失って、ノゾムと二人きりで旅をして。兄貴を追いかける以外にも、炎のスピリットを使う以外にも俺の道はあるんだって分かってきた。兄貴や炎のスピリットと離れて、それでも進んでいける自分を見つけられた。
今なら、兄貴ともっと素直に話せると思う。
「みんなに会いたい?」
「そうだな、会いたい。その時はノゾムも一緒にな」
俺が笑いかけると、ノゾムもうなずいた。
「うん。僕も、信也が好きなヒト達に会いたい」
「じゃあさ、他の仲間の話もしてやろうか」
また階段を下りはじめて、今度は友樹達のことを話す。
ノゾムの部屋を抜けて、執務室との間にある小部屋へ。
足を踏み入れた途端、記憶の渦が頭に流れ込んできた。
城の中は足音と大声と、武器のぶつかる音ばかり響いていた。
自分の部屋から出たところで、ディノビーモンと鉢合わせした。ディノビーモンの表情は硬く、暗い。
「十闘士率いる反乱軍が、永遠の城付近まで迫っていると報告があった。私はこれより永遠の城に行き、前線指揮を執る」
今まで誰もたどり着かなかった、究極の力を手にした十体のデジモン。彼等は十闘士と名乗って、反乱軍のリーダーとして動いている。その勢いは増すばかりで、この光の城と永遠の城が最後の砦だった。
ディノビーモンが辺りを見回し、声を潜める。
「他に誰も聞いていないから言うが……永遠の城は長くても三日しかもたないだろう」
「負けるって言うのか? 人にして獣たるディノビーモンが相手をしても?」
僕の言葉に、ディノビーモンは顔を伏せた。
「それほどまでに十闘士は強い。私であっても、敵の足を一時止めるのが精いっぱいだ」
ディノビーモンは、永遠の城を守って死ぬと悟っている。僕と会うのは、これで最後だと思っている。
「永遠の城が落ちれば、反乱軍はこの城に押し寄せる。その前に君は逃げてほしい」
「光の城を捨てて逃げるなんて、負けを認めるのと同じじゃないか」
「しかし、勝てる見込みはほとんどない。一番大切なのは生き延びることだ。生き延びれば、きっとやり直せる」
「僕にやり直しなんて必要ない」
僕はディノビーモンをにらんだ。
「今までのことが間違ってたなんて思ってないし、十闘士に背を向ける気もない。この城に残る」
ディノビーモンの言葉を信じたくない。ディノビーモンが死んで、この城が落ちるなんて。十闘士が勝つなんて。
ディノビーモンは数秒僕と目を合わせた後、深々と頭を下げた。
「君がそう言うのなら、思う通りにするといい」
もう僕と目を合わせようとせずに、執務室の方へ歩きかける。その足が止まった。
「あと一つだけ、言っておきたい」
「何」
ぶっきらぼうに聞き返す。
「鏡を見た方がいい。この城に来た頃より、ずっとひどい顔をしている」
それだけだった。
ディノビーモンが去ってすぐに、僕は自分の部屋に戻った。縦長の姿見をのぞく。
顔色は青白く、眉の間には深いしわが寄っていた。目つきは普通にしているつもりなのに、鏡の中の自分は恨めしそうにこっちをにらみつけていた。唇が小さく震えている。
これが今の僕か。
「うわああっ!」
見ていられなくて、鏡をこぶしで殴りつけた。全面にひびが入り、まともに映らなくなる。皮ふに破片が突き刺さって、鋭く痛んだ。
「何事ですか!」
物音を聞いて、ケンタルモンとララモンが駆けこんできた。部屋の惨状を見て立ちすくむ。
「……すぐに手の治療をしましょう」
「構わない、こんな傷」
僕が吐き捨てると、ケンタルモンが黙り込む。
「せめて、破片を手から抜かせてください。ララモン、割れた鏡の片づけを」
「……うん」
僕は不機嫌のまま、手をケンタルモンに差し出す。ララモンが小さな手で床から破片を拾っていく。
気づくと、俺は床にしゃがみ込み、自分の右手を抑えていた。鏡の破片が刺さった感覚がすごくリアルで、今のは幻だ、と言い聞かせてもなかなか痛みが忘れられなかった。
どこにも向けられず抱え込んでいる怒りや寂しさも、自分のものじゃないと割り切れるまで時間がかかった。思わず舌打ちする。
一度通った部屋だから何も起こらない、って油断してた。ノゾムと手をつないでいても、これだけリアルなユウレイ現象は精神的にきつい。
それはノゾムも同じだ。俺の横にしゃがんで、辛そうに息を吐いている。
「大丈夫か?」
「やっぱり、きつい。でも進まないと。きっと、あと少しだし」
何があと少しなのかは聞き返さなかった。
ユウレイ現象は時間の順に、ノゾムが思い出しやすい順に進んでいる。
十闘士がもうすぐ攻めてくるのなら、この城が滅びる日まで、あと少し。
そして俺の嫌な予感が当たっているのなら、その日にノゾムは――。
☆★☆★☆★
少年二人が頑張って進む先に、せっせと過酷な状況をセッティングする作者です。今回神原家や仲間のことを書いてて、信也がわいわいやってたのがずいぶん前のことのようだな、と思いました。……実際執筆したのがだいぶ前だよ、というツッコミはありますが。
さて、読者の方々も勘付きつつあるノゾムの謎。
信也も真実に気づいてきてますが、まだ明言はしません。作者も本編で信也が明言するまではノーコメントといたします。