まだ荒野のようだった17年前 | 整理収納 Natural Life Support

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◇◆◇ NPO法人 暮らしデザイン研究所 ◇◆◇

はじめまして、NLS会員&障害児者教育アドバイザーの後藤ですかお
この17年ほどの障害者福祉。ざっと振り返るにも長すぎますが、
私は17年くらい前に、草の根から、福祉にかかわり始めました。
その頃の福祉ってどんなのだったの?! 汗と、思い出話が
みなさまの何かのご参考に、また問題提起にもなればと思いましてらぶ②


私が20歳の大学生の頃、阪神・淡路大震災があり、
私は被災地でボランティアとして活動すると同時に、
被災障害者を応援する障害者のとあるセンターに
紹介を受けて行くことになりました。

そこは、言語障害(言葉の話しにくさ・聞き取りにくさの障害)の重い、
車いすの脳性まひの方ご自身が電話に出られ、
ご自分で依頼に対して介助者(介護・お世話する人)を
コーディネートして紹介する、という事業を始めたセンターでした。


今だったらどうでしょう? 
ヘルパー事業所が、適切なヘルパーを
「利用者」のところに「派遣」しているので、
障害をもつ方のすることは、ぐっと減っていると思いますが、
17年前はホームヘルパーという言葉も(滋賀では)普及していなかったのです。


センターでは障害を負ったスタッフどうしの熾烈な_え~‥_喧嘩も、毎度みられ真剣でした。
夕方になると、駅のほうにみんなして、出かけていきました。
そして仕事帰りの人や街の市民に、ビラ配りです。

ビラの内容はともかく、一生懸命ビラを手渡そうとしても、
誰も受け取ってくれない。

脳性まひの指先の力みでぐしゃりとなったビラが、
一枚、また一枚と、駅の通りに寒々しく舞っていく。

「一般人」とこんなに隔たりながら、
それでも生きようとしている障害者の方の姿を、
私は胸に切なく響く社会の構図として知りました。


その頃は、入居施設から外(街)に反対を押し切って出て、
ひとり暮らしをしている意志強固な人は、ごく少数でした。

その方たちは、日夜の介助スケジュール表を学生ボランティアで埋め、
ご自分で介助の電話交渉もし、ご自分の口で(指示して)
買い物も料理もして、ひとり暮らしを敢行されていました。

当時、ヘルパーはようやく巡回ヘルパーがたまにまわってくれる程度で、
「あっちゃん、自分でがんばって力を使わな、あかんのや」と私は言われて、
生活行為の一つひとつに渾身の力をこめられて。
そうまでして、ひとり暮らしをすることに価値がある。
私が福祉で学んだ最初のひとつでした。


さて、17年以上たった現在は、どうなっているかというと――
私の友人で京都でお近くだった、脳性まひの菅原保秀さん(NLS会員)が先日、
こんな意見をメールで送ってくださいました。

「もう福祉は表面的には充実してて一利用者が何んもせんでもええし、
事業所もサービス拡充に力入れとるから、
ほんまの意味での自立か?というと違うもんになってるよな」
(転載許可済み、原文ママ)


ベルそう、もう今や、一利用者が何もしなくても(極端にいえば(・・;))
サービス化された「福祉」「介助」を受けられる。
17年前と比べれば、はるかに恵まれた環境になっていますよね。


ベルけれど、障害者はそれで本当に幸せをつかんだといえるのでしょうか? 


事業所&行政サービスにより、
社会保障の一環でまかなえる生計をやりくりすることも、
今では障害者がめざす最終の課題ではなくなったのではないでしょうか?
障害者はこの時代に、何をめざせばよいのでしょう?


私は、障害者が今、めざすべきことのひとつは、
昔、福祉の黎明期に障害者がもっていたはずの
「生活力」「パワー」を使っての「経済力向上」だと思います。

柔軟な生活・労働で、障害者が経済力を上げられて、
「自分で生きている」実感が増すこと。
重い障害の方ならば、このIT時代、経済に対する
「操作力」「影響力」をもてるようになること、でしょうか。

また、それらをサポートする広い視野の人材が増えることが、必要ですよねニコ
そして、みんなで新しい幸せをわかちあえることキラキラ
NLSで、そうしたサポートと「わかちあい」ができれば、と願っていますラブラブ


(障害児者教育アドバイザー  後藤敦子)   個人ブログは こちら