正しいでも楽しいでもなく、○○なカラダの使い方。 | 全くのゼロから整体師・トレーナー・セラピストとして起業してたった3ヶ月で月収100万を得る方法

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立甲健一郎です。



現代日本人は、


姿勢の正し方を知らない。


だから、心の正し方を知らない。



その姿勢の正し方の本質は、


日本の伝統文化の中にある。



それが、「立腰」だ。



「立腰」を学び、実践することで、


日本伝統文化の素晴らしさがわかる。


興味が湧いてくる。



日本の伝統文化は皆、


「立腰」を土台に成り立つ文化だからだ。




だから、


「立腰」という、


姿勢の正し方を知ることが、


日本人が、日本人らしく生きる


道標になると思う。



と言っても、果たして、


そんなある意味お堅いことが、


既に欧米化された現代日本人の


特に若い世代の人たちに


通用するのか、という課題がある。



それは、まさに、


やってみなければわからない。



だから私はやってみた。


立腰整体師・立腰トレーナーとして、


多くの若い世代の人達と関わってきた。



その結果、明らかになったことは、


次の3つだ。



①やさしくて、

②おもしろくて、

③ためになる。



この3つが、


日本伝統文化の本質である


「立腰」を、


欧米化された現代日本人に


唱導していくのに、


最も必要な条件なのだ。



まず、「やさしい」


やさしくないと、やらない。


この「やさしい」には、


「易しい」と「優しい」の2つの意味を兼ね備える。


難しくて厳しいやり方は、


現代には合わない。



そして、「おもしろい」。


やっていておもしろくないと、


とくに若い世代の人は、やらない。


この「おもしろい」の中には、


やってきて快適で気持ちいいという


意味も含まれている。



最後が、「ためになる」


「立腰」が「ためになる」ことは


間違いないのだが、


何かと忙しい現代社会において、


「立腰」が何にも増して役に立つ


最重要事項であることを


わかってもらえなければ、


やってはくれない。


さらに言うと、


身体能力が衰えてしまった


現代の日本人に、


本当に「ためになる立腰」


やってもらうには、


従来の発想ではダメで、


そこに創意工夫が必要だ。


従来の発想と方法のままでは、


タメになるどころか、ダメになる。



そのことを、私は、


立腰整体師・立腰トレーナーとしての


実体験から提示することができる。



もう一度言う。


①やさしい。

②おもしろい。

③ためになる。


この3つが交わるところに、


「立腰」を現代に甦らせるカギがある。


現代の経営学的に言えば、


「コストパフォーマンスが高い」こと。


これが、何より大事な「立腰」


“実践”してもらうのに、最も必要なことである。


徹底してローコスト・ローリスクで、


極めてハイリターンであることが、大切なのだ。



私が提唱している「立腰」には、


欧米のノリの良さや、楽しさも含まれている。


日本が好きで、日本伝統文化を大切に


していきたいのであるが、


だからと言って、欧米式を否定するつもりは


毛頭ない。


欧米には、欧米の良さがある。


その欧米の良さと、


日本伝統文化がミックスしたら、


どれだけ魅力的だろうか、


と思うのである。



もちろん、


日本においても、


例えば江戸時代の庶民は、


すごくで、ノリが良く、


おもしろく楽しく生きていた。



そんな粋で楽しい「江戸思草」も、


私は「立腰法」の中に組み込んだ。



だからこそ、敢えて言いたい。


楽しくなければ「立腰」じゃない。


楽しくなければ「姿勢」じゃない、と。



本当に正しい「立腰」は、


心が楽しくなるものだ。


心が固く閉ざされ、


固まってしまうのは、


「立腰」ではない。



日本人が、立腰を、姿勢を、

楽しむことができたなら、


心が楽しい日本人がもっと増えるだろう。


現代日本人は、


姿勢の正し方を知らないが、


それはイコール、


姿勢の楽しみ方を知らないということ。



こんなに楽しく愉快で、


いとをかし(めっちゃ面白い)な世界があることを、


私はどうしても伝えたい。



何が「MOTTAINAI(もったいない)」って、


まさにこのことがもったいない。



「正しい」ことばかり追求しすぎても、

固くなり、どこかで衝突が起きる。


戦争なんて、


お互いが「正しい」と

思っているから起きることだ。


正義を主張したところには、

必ず争いが生じる


これは、紛れもなく、

「歴史」が教え示してくれていることだ。


また、正しいか、正しくないかは、

時代や地域、文化によっても

大きく変わる。


だから、


「正しさ」より「楽しさ」なのだが、

私はもう一歩進んだ考え方を提示したい。


それが、「粋」かどうか、という視点だ。


それは、粋なのか、野暮(やぼ)なのか


そこで考えてみる。


これは、江戸時代の考え方だ。


楽しい方を選べばいいというが、

自分さえ楽しければいいってもんじゃない


自分も楽しくハッピーで、

周りの人も楽しくハッピー。


そういうのが「粋」な発想である。


野暮というのは、

自分のことしか考えない発想。


正しいか正しくないかではなく、


楽しいか楽しくないかでもなく、


粋か野暮か、で考える。


そこに、第3の視点がある。



江戸時代には、

「うかつあやまり」という作法が

当たり前のように根づいていた。


足を踏まれたら、

普通は、踏んだ方が謝るが、


江戸時代では、


足を踏まれた人も、

「ごめんなさい」と謝っていた。


踏んだ方も、踏まれた方も、


「ごめんなさい」。


踏んだ人が「ごめんなさい」

と謝るのは当然だが、


踏まれた人も、


「私がボーッとしていたからです。

 こちらこそごめんなさい。」


と謝っていた。


これが粋な江戸っ子だったのだ。


私などは、ここに、

当時の日本人の身体能力の高さを

窺い知ることができるのだが、


この、「足を踏まれた方が謝る」というのも、


正しいか、正しくないかで考えたら、

おそらく、正しくはないだろう。

しかし、先ほども言ったように、

正しい、正しくないは、

時代や地域、文化によっても大きく違う。


恋愛観や結婚観が、

時代、地域、文化によって

違うことは、言うまでもないことだ。


とにかく、粋な江戸っ子は、

相手を一方的に悪者にしない。

「お互い様」の思草が根づいていた。


だから、


正しい姿勢よりも、

楽しい姿勢よりも、


粋な姿勢


正しいカラダの使い方よりも、

楽しいカラダの使い方よりも、


粋なカラダの使い方


思いやりをもって、

周りに氣を配り、心を配り、


自分も周りもハッピーになれる

姿勢とカラダの使い方、


そんな粋な身のこなしを

実現するのが、「立腰」なのだ


「立腰」とは、粋な腰つきと言っていい。


それはまさに息をしている、

活き活き(イキイキ)とした腰つきだ。


パッと相手を思いやって動けるカラダ。


それを「思草」という。


「思」とは「思い」のこと。

「草」とは「行為」のこと。


つまり、「思草」とは、

「思いと行動は1つ」という意味。


ピッと感じたら、考える間もなく

パッと動けるカラダ。


そんな自分のためにも、

人のためにも動けるカラダを

養う基礎となるのが、「立腰」なのである。


自分も周りの人もハッピーに

生きる心を養う極意が「立腰」なのだ。


新しい時代、それを、


誰もが、


①やさしく

②おもしろく

③ためになる


こととして、推奨していきたい。


そして、この日本を、


活き活きとした、

意気に感じる粋な日本人溢れる


社会にしたいと思うのだ。



立甲 健一郎