ゆずりは | せいらのブログ

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2014年10月31日  14時21分

ひとりの友人が永眠しました。

癌でした。



去年の夏の終わり、「お腹が痛い」と、病院に駆け込んだときにはもう、体内で癌細胞が腸を食い破っていました。

彼女は看護師でしたので、自分で診断を聞き、状態を把握して、予後を判断していました。




彼女と始めて会ったのは、10年近く前になります。
会社こそ違えども、同じ分野で仕事をしている大先輩。
はっきり物を言う、強くて賢い人でした。



数年後、次男の中学校のPTAでばったり会って、「3年間、PTA役員を引き受け続けている」と聞いてびっくり。
だって、彼女の仕事ぶりから見て、とてもそんな時間があるなんて思えなかったから。


「ずっと忙しくて子供たちのことかまえないから、せめてPTAを引き受けて、学校と繋がりを持ちたいの。学校の様子も分かるし、本人が言わない情報も入るし」

と言う彼女は、厳しい仕事場での顔とは違う、優しくてしっかり者のお母さんでした。


彼女は4人の子供たちのお母さんでした。


お一人のお子さんには障害もありました。


本当に、誰よりも強くて優しいお母さんでした。



3年ほど前、「今の会社を退職することになった」と相談があり、その後は部所は違っても同じ職場で働く事もできました。

でも今年になって、病気療養のため退職。



退職後も交流はありましたが、メールの返信も途絶えがちになることもありました。



亡くなる一週間前、突然「退院して自宅に帰りたいので、支援して欲しい」と依頼がありました。
某大学病院に入退院を繰り返していたが、後は好きな場所で過ごしなさいと言われたから…と言っていました。

つまり、もう処置する術がない、と言うことです。


病室で会った彼女は、ふっくらしていた面影はなく、痩せて骨が浮き出た肩から管が出て、

でも、胸から下は腹水が溜まってパンパンに膨らんでいました。

溜まった腹水を抜きながら点滴をし、でも笑って「今、双子の息子が修学旅行なのよ~」って嬉しそうでした。


後でご主人が言われたのは、この修学旅行を息子さん達に楽しませるために、何がなんでも終わるまでは死ねないと頑張っていたそうな。


その修学旅行から息子さん達が帰ってきた直後から容態が急変。


依頼から5日後の退院前カンファレンスの時には、もう、あの嬉しそうに笑っていた人とは別人のようになっていました。


それから3日。


彼女は逝きました。



何よりも子供を愛し、お母様でさえ「辛いのに、私に甘えてもくれず、最期まで毅然としたしっかり者の娘」と言われた彼女は、ご主人の手を握りながら亡くなったそうです。


1年1ヶ月の闘病生活で、一番強かったのは彼女自身だったそうで…


でも、彼女はどんなに泣いたか…手に取るように分かります。



今日、職場にご主人が挨拶に来て下さいました。


家族みんなで闘ってきて、今は子供達もそれぞれに現状を飲み込んで、日常生活を取り戻しつつあります。
でも、私が一番ダメなんですよ。いつまでも涙が零れてね…
僕の方こそ、10才も年下の彼女に看取って欲しかったのに…


大きな体をすぼめて泣かれるお姿は、言いようもなく切ないです。



私は、彼女の最期に関わらせてもらえて、彼女の見事な生きざまを見せてもらえて、ありがとうと言いたい。


同じ年だった彼女は、でもやっぱり大先輩でした。


10月28日の誕生日に送った私からのメールには返信はありませんでしたが、いえ、出来なかったのでしょうが、娘さんには返信していたそうです。




親から子へ



きっと、大きな何かを子供たちに残していったに違いない彼女。


でも、少し早すぎたよね。