魂の本質、現世の性質 | 秋月せいらオフィシャルブログ「〜徒然なるままに〜」Powered by Ameba

皆様こんにちは、いつもの如くまたまたご無沙汰してしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか?

この数ヶ月コロナコロナでうんざりして死んだふりをしておりましたが、なんとか世間も段々と平常に戻りつつあり、死んだふりも終わりにしようかと思っているところです。
この騒動で悲しいことにとても聡明で理論的だった知人がコロナ教になってしまったり、逆に有難いこととしては世話焼きの友人が物理的な生活力(家事力?)のない私の生活を懸念して、あれはあるかこれはあるかとお世話を焼いてくれたりと否応なく人の本質に触れる機会となりました。(実際トイレットペーパー難民になりました(笑))

私の口からこの騒動に対する大観を申し上げるつもりはありませんが、日本での2018年のインフルエンザの死者数や、日本の全死因での一日あたりの死亡数と対比しながら、うんざりしたということだけはお知らせしておきます。(私の個人的なうんざりなんて誰も興味ないか)
新たな時代への移り変わりは痛みや混乱を伴うというのは歴史の常、数多の情報だけに踊らされるのではなく、確固たる知識や常識を持って冷静に転換期を楽しみたいものです。
今回の転換期を生きる個人の感想として、人間はどうも歴史には学べないようだと憂う今日この頃です。

さて今日は『魂の本質、現世の性質』そんなお題でお話をしてみようと思います。
私はよく半分冗談半分本気で『もう来世に賭ける!』と自分の今を揶揄することがあるのですが、そんな話をしていたらある人が来世になったら性格も変えられるのかな?と私に尋ねて来たのでとても面白い質問だなと思いました。

人には魂の本質と今を生きる上での性質があると思います。魂の本質は何度もの生まれ変わりの中で段々と熟しそれはガラリと変わるというよりは作物が熟して実るように、木々が年輪を重ねるように濃いものへとなっていきます。その本当の核の部分というのは来世も変わりません。
例えば妖精のように軽やかにふわふわとしている魂はふわふわ維持、良くも悪くもエネルギーの強い魂は善悪は後付けで何かしら大きなパワーを発揮します。権力に集団で立ち向かうという魂は同じような魂と出会い正義を追求します。

対して現世での性質(現在までの性格的なもの)というのはその魂という核はあれど、後付けの要素がとても大きいです。環境であったり育ちであったり出会う人であったり、何より時代背景や文化的背景も随分大きいことでしょう。
思想や物事の善悪の基準、職業選択などもそうですね。
これらは来世と言わず、今からでも十分何かしらの要素を以て、または自らの意志で変化を加えることが可能です。

赤子として生まれてその後を生きゆく中で形成される精神や考え方そのものは現世限定で?培う性質であると云えます。
よく生まれる時に仕事を決めてくるなんて話がありますが、私がこれまで鑑定してきた経験の中で言えばそういったケースは少ないです。
絶対に決めているのはどのお母さん(またはお父さん)にするかということ、そしてどんなテーマで生きるかということくらいです。テーマというのは人のために生きるという人もいれば、愛を知る、愛を与えるであったり、何かを育むという人もいます。私自身の現世で言うなれば過去生の”精算”の意味合いが強いので、まぁ傍目からは分からないですがちっとも面白くありません。苦笑
時々この人は職業やパートナーまで決めてきたな!という方も偶にいますが、それは確固たる大仕事を任されていたり、そんな信念の持ち主であることが多く、私がこれまで公私共に様々な人を見てきた中で10%もいません。
本人が成し遂げるというより、誰かの大仕事を手伝う為に強い意志を持って生まれる魂もあります。

自身のテーマ(魂の性質)に向き合うためにどんな生き方が良いのか潜在的(魂的に)現在の性質とミックスして自然と考えたり感じたりしながら、人は生き方の選択をしていることが多いです。
よく自分の生き方がしっくりこないと仰る方がいらっしゃいますが、この魂の本質と現世での性質が上手く混ざらない、酷いときには分離しているからそうなってしまうのです。
しかしそうはいっても、経済的な問題であったり環境であったり完全な融合というのも実際難しいものではあります。その中でもがくこともあるでしょう。このもがく過程というのは苦しく先の見えないトンネルにいるようなものですが、これこそ当に学びなのです。この段階にいる方々に絶対にして欲しいことは、希望を捨てないだとか未来は明るいなどというまやかしではなく、『考えることを止めないこと』これに尽きます。
常に頭と心の片隅で自分の魂と今の自分が融合出来ない原因はなんだろうなぁと思っておくこと、そしてそれは根を詰めて考えることではなく、ライフワーク的なテーマにしておくことです。今を受け入れヒントを模索する、そしてそんな自分を追い込むことなくシンプルに生きること、これがとても大切なのではないかと思います。

今日のお話を総合的に例えるなら大きな木があり木の幹が魂の核、枝が性格、花や実がその総合的な結果、種が自分自身の結果を他人様へと教授したり、導いたりする力でしょうか。
それらが育つための水は人や物、事象との出会いでありそこから得る影響力やめぐり合わせ、そして肥料は努力であったり感謝であったり時には運であったりなのでしょう。
また、不作の年や実りを増やすために思考錯誤することが”もがく”つまり考えるということ。
最後に何より大切なのが土壌ですが、これは素直さに尽きます。素直な人とそうでない人の伸び率に雲泥の差があることを考えるに、やはり根を張り幹を太くする為、沢山の水や肥料を吸収するには絶対に土壌(素直さ)、此れが大切です。

この幹なる部分がどこかの地点より遡って小さく細くなるということはあまりありません。しかしせっかくこの世に生まれて生きるならば生まれたときよりも何倍も幹を大きくして自分の生きた甲斐としたいものです。


今日はなんだか長くなってしまいましたが、先日友人が私の単純さに大笑いしていたので、その時に単純だから素直に育つんだし〜と言い返したことを思い返してクスリと笑いながら今日の一筆でした。

そろそろ梅雨入り時期で体調が不安定になる方も多いかもしれませんが、いつもシンプルに皆様らしく日々を重ねていかれることをお祈りしております。