健康とスピリチュアルの関係性に待った! | 秋月せいらオフィシャルブログ「〜徒然なるままに〜」Powered by Ameba
皆様こんにちは。
週の前半はバースデー休暇を頂きました。自身へのプレゼントは勿論睡眠!
兎にも角にも眠り姫も驚くくらいに夢の国を浮遊しまして、天からのギフトでしょうか。とてつもない美男子とのデートまで果たしてしまいましたin dream。

クライアントさまからも沢山のお祝いのお言葉やプレゼントを頂いて、大変嬉しく思っております。
この場を借りて改めて御礼申し上げます。

増えるのは皺と歳だけなんて嘆いておりましたが、もう一つ!健康も!
なんともう眠れないよというくらい眠った翌日、またまたヘルニアが悪さを始めました。

妹からは『頭を下げろ腰を低くしろってことだな』と大笑いされ、私みたいな生業の者が『大変恐縮ですが…もしよろしければ僭越ながら意見を述べさせて頂いてもよろしいでしょうか?正しいかどうか分かりませんが…』なんて言ってたら逆に信憑性に欠けるよ!と、悪態をつきつつその声にも力が入らないのでした。

さて前置きが長くなりましたが、今日は健康とスピリチュアルな関係に待った!というお題でお話します。

体調をスピリチュアルな捉え方でみていくと、腰だと傲慢さが目立つ、腰を低くしなさいという意味だったり、呼吸器は気持ちを溜め込んだり言いたいことを言えなかったなどが溜まって身体に出てくるなんて言われます。(詳細はインターネットで検索するといくらでも出てきます。)

しかしながら恐らく年間800回以上気功をしていると、そういった“偏った”見方にハテナという場面が往々にしてあるのです。
前世との関連性も然りです。

例えば機械にも長所と短所があるように人間の身体も個人個人でそれぞれ強い箇所弱い箇所(以下急所)があります。
それは所謂人体の急所という意味ではなく、皆様それぞれの急所です。

どんな所も酷使したり負担をかけたりすれば痛むのは当然ですが、元々弱い所というのはあるものです。
例えばですが人体も心臓というエンジン、臓器という主要パーツ、手足などの従属パーツによるロボットとご想像頂くと当たり前のことですね。

そんな中でスピリチュアルな事が関係してというよりは、酷使、負担、急所等の理由により不調のある方、少し休みなさいよという意味や、全体の気のバランスや周辺の臓器や筋肉を庇うことによる副次的な意味の不調の方だって沢山いらっしゃるわけですが、そういった方ほど私の行いの何が悪いのでしょうかとお聞きになられるので、心苦しくもあります。

人間が山の上で霞を食べて生きていくということが事実上難しいということは、あらゆる宗教概念や倫理、道徳を遵守するということは難しいということでもあります。

最初に述べたような立場上の建前だってありますし、生きるためにしなければならない選択も、またそういう天からのミッションだってあるのです。

人は理想論だけでは生きられません。

あまりにスピリチュアルな考え方や宗教概念に傾倒したり依存したりする前に、まずは皆様の目の前のやらなくてはならないことや、上らなくてはならない階段を進みゆくことが先決です。
それによって皆様ご自身の哲学を築いていかれれば、そのなかで図らずともそれらの概念とマッチしてくるのではないでしょうか?

その中で心身のトラブルが発生した時はまず出来ることをやりながら、広い視野の中で自らを省みるということを大切にしましょう。

緩和が遅く何してもダメだとなったら、いつでもご相談頂ければ幸いです。

健康とスピリチュアルの関係があるとき“も”あれば、そうでないとき“も”あるのだと、心に留めて頂ければ幸いです。

自分の腰もうまいことやれないもんかとあれこれ変な格好で試みるも全て失敗…と嘆く私が、このようなことを申し上げても些か説得力に欠けますが、私のことは反面教師に健康な毎日をお過ごし下さいね。

そんな今日の一筆でした。