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沖縄放蕩記

東京でのスロプ生活に飽きて、2010年から沖縄に移住。

日々の生活を、酒を片手に、徒然と。

前の続き。

 

寄り道をして長々と炭の話をしたが、元に。買い出しも終えて、宮城島へ向かう。沖縄東部、うるま市の勝連半島からは、海中道路と橋で、平安座島、浜比嘉島、宮城島、伊計島が繋がっている。一番奥の伊計島、その手前の宮城島が今回の目的地。

 

リゾートコテージ汐風、一棟貸しのペンションで13万円、これで20名まで泊まれるので、だいぶ安い。建物は綺麗で、設備も十分。すぐ目の前が海、周りに家は少なく、のんびり出来るところだ。

 

因みに、ペンション、今回この単語を調べて、初めて理解。英語ではpension、「年金」と言う意味。これと、リゾートのペンション、同じ単語なのかなあ?と、ずっと疑問を放置していた。良くないね。

 

で、同じ単語だった。元はフランス語のpensionで、英語と意味は同じ「年金」。年金生活者が自宅の空き部屋を宿として提供したのが始まりらしい。現在では年金生活者が経営しているかどうかは関係なく、ホテルよりは小さくて安価な、家族経営の宿、となっている。

 

ところが、この言葉が日本に入って来た時、発祥が英仏なので、洒落た西洋風民宿、の様な感じで使われ始めた。結果、日本の場合は、リゾート地にある一軒家の洒落た宿を指すようになったから、高級なペンション、なんてのも存在する。元のペンションの意味である、年金生活者が片手間でやっている安宿、みたいな意味は消えた、と言うことだ。

 

確かに、ペンションと聞いてゲストハウスみたいなのを想像する日本人はいないもんな。と言うことは、欧米に行った時に「ペンションが安い!」なんて期待して行くと裏切られる可能性がある。注意しよう。

 

さて、天気にも恵まれた。だが、海は潮が引いているな。これから夜に掛けて満ちて来る様だが、釣り、出来るかな?今回の最大の目的は釣り。釣った魚をばんばん焼いて食う、と言う予定。まあ、余り期待はしていなくて、食材はたっぷり買って来てあるが。

 

取り敢えず、今の時間では釣りは出来そうも無いので、シュノーケル。ついでに食えそうな貝でもいたら拾って来よう。

 

泳いでみたが、ほとんど砂地だな。海藻ぐらいしか見当たらん。コバルトスズメと、他の小さい熱帯魚ぐらいしかいなかった。貝は、ミチヲが、高瀬貝に小さい浅蜊、帆立みたいな大きいの、を取って来たが、リリース。帆立みたいなやつは食ってみたかったのだが、何の貝か分からないってのはちょっと怖い。

 

でも、調べてみると、これ、なんじゃないか?貝の表面にはいろいろ付着していたからこんな色ではなかったけど、沖縄に生息する帆立みたいな二枚貝で調べると、他にあまり出て来ない。帆立は寒いところにしかいないので、違う種類であることは間違いないのだが。このヒオウギガイ(緋扇貝)は旨いようなので、食ってみるべきだったな。

 

(続)

 

黄金や

市場近くのアーケード商店街「サンライズ那覇」内にある居酒屋。「くがにや」と読むようだ。居酒屋としては天麩羅とおでんが売り。カフェ的な使い方も可能で、スイーツもいろいろ置いてある。ビールは、この辺の相場と比べるとやや高めかな。きんきんなのは良い。天麩羅はさくさくの内地風で良かった。おでんは普通。でっかいテレビがあったので、スポーツバーみたいな使い方も可能だろう。天麩羅を食うのに良い店かな。

 

天シーサー

市場近くのアーケード商店街にある、いわゆる「千べろ」居酒屋。ドリンク3杯と一品で1000円。ビールは麦職人なんで、ホッピーセットが一番御得。料理の一品もいろいろな種類を食ってみたが、どれも量はかなりある。これで1000円は本当に凄い。物価の安い沖縄が本気を出せばここまで出来ると言うことか。人気店なので、必ず入れるとは限らないけどね。

 

新茶屋

桜坂にある餃子屋。大蒜が粒の塊のまま入っている、変わった餃子。これだけ大蒜を使っているんで、店内もその匂い。来る際はそれを重々承知の上で。桜坂社交街の名残っぽく、店内にはジュークボックスもあって、オールディーズが流れていた。

 

地球屋

安里駅前にある居酒屋。数度来たことがあるが、ここは鍋が良いようだ。まあ、栄町に来る時は大体泥酔しているので、味をあんまり覚えていなかったりするのだが。

 

栄町西口商店

栄町の立ち飲み屋。鶏の煮込みが旨い。いつも繁盛している。

 

ハル晴ル

栄町のバル。遅くまでやっているのが非常に使いやすい。店内は広くて綺麗で入りやすいし。いつも深夜に来るから、何を食ったかあまり覚えていない。

 

前の続き。

 

避難が解除されたことに対して、俺も行政に言いたいことは色々あるけれども、総じては良かったと思っている。小高の町なんて老人だらけだしよ、将来に放射能によって起こり得るかも知れない後遺症とかはどうでも良いから、自分の城で死なせてくれ、そう思っている爺婆も多いはずだ。それを止める権利は誰にも無い。有って良い筈が無い。

 

尊厳死、安楽死、の問題と似ている。自分の死に場所を自分の家に決めて、それを止める権利が誰にある?覚悟して切腹する奴の刃を、途中で横から止めて無理矢理にでも生かすことは、情けなのか?それが医師の情け?

 

武士の情けなんてものは過去の遺物、否定されて当然、ってことか?一方的に、押し付けるように?病院で、無理矢理にでも点滴を打たされて、延命されることを拒否したいのに、そう言う意志を示す機会すら許されず与えられず、混濁した意識の中で、死を待てば良い、と?

 

人権って何?自分で生死を選ぶ権利は無いの?それは、自殺を厳禁とするキリスト教的倫理観を西欧から押し付けられているだけだとは思わない?いわば宗教的強迫観念だよな?日本人にはそんな倫理観は、そんな宗教観は、昔は無かったのだけれど?と言うか、伝統とかの問題ではなく、個人個人の自由じゃないの、自分の最後ぐらい?少なくとも、この現代の思想に則れば。

 

人間の覚悟を止める権利は、他の誰にも無い。例えばだ、福島第一原発を、これは自分の設計したものであって、自分の子供みたいなものだから、これと共に隣に座って死にたい、と言う設計者がいたとして、それを止める権利は誰かにあるだろうか。俺にはあるとは思えない。

 

俺は両親に、こちら、沖縄に住んだら、と提案した。「ここで死んだら」とはさすがに言わなかったし言えなかった、が、でも、俺の提案はそれに等しい。「福島のあの地は捨てて、ここで一緒に暮らそう」、つまり、「福島は忘れよう」と言う提案を、した。

 

だが、両親は、帰った。沖縄にいたのは2年半程度、現在は、実家近くの避難命令が出ていない地域のアパートを借りて、避難命令が出ている実家とを日々往復する、傍から見れば非常に面倒な暮らしを、選んでいる。

 

避難命令は今日解除されはしたが、両親は今後も当分この生活のままだろう。スーパーや病院が小高に出来たら、アパートを引き払って実家に帰るとは思うが、まだまだ先の話になりそうだ。

 

親の選択を、止める権利も術も、俺には無い。例えそれで両親が早死にすることになったとして、それは親の選択だ。俺も後悔はしない。

 

もし親がどうしようもない阿呆、それこそ知的障害者、なら、殴ってでも止めるかも知れない。そういう特殊なケースに限り、親を止める権利は子供の俺に有ったかも知れない。

 

だが、見たところ、両親ともども、冷静に判断しているようだし、そこに俺が口を挟む余地が有る様には思えなかった。両親の好きにして貰うのが一番だし、それを許せる度量を見せることこそが、青は藍より出でて藍より青し、を達成出来た証として、親から与えられた巣立ちの課題帳に書き込んで提出するチャンスなのかな、とも思う。

 

何にせよ、避難命令の解除は、良かった。一つ、前に進んだ。日本人の自由は広がった。この狭い国土の中で、国に移動を制限されるような場所は極力減らした方が良い。かつて住んでいたところなら、尚更。立ち入り禁止の場所は減れば減るほど良い。

 

この小高のど田舎、今日はやたらと話題になったが、明日以降、特にニュースにもなるようなことも起きないだろうし、多くの人の記憶からは消えて行くだろう。忘れられる。

 

だが、それでいい。そうあるべき。南相馬市、小高、別に、目立ちたくは無いんだよ。ひっそりと暮らしたいからこそ、こんなど田舎に、皆、長いこと住んでいる。

 

目立たないことこそが平穏無事の日常の証拠である、と思う。現代におけるニュースってのは、大体マイナスのこと。実際、震災前にこの地がニュースで取り上げられるような、目立つようなことは、一切無かった。南相馬市、浪江町、こんな地名、皆、聞いたことも無かっただろう?

 

そんな、空気のような、全国区のニュースには名前すらも上がらない日常が、この小高町に戻って来ることを願う。それこそが、この地に住んでいた人々のささやかな願いだったのだから。

 

静かに暮らすこと、これを人生の意義と考える、そんな人がいても良いのではないだろうか?

 

冒頭の歌詞、俺はこいつらは実は大嫌いなんだけど、最後に「御金なんかはちょっとでいいのだ」と言う言葉がある。これは反芻すべき言葉かな、とは思ったね、当時中学生の餓鬼ながら。

 

こんな歌詞を書く奴に限って、後々有り余るほど稼げる、こういう運命にするって、やることが嫌らしいね、神さんよ。ま、ぐだぐだ言っても仕方ねえ、毎日毎日を、地道に、こつこつ、頑張りますか。

 

(終)

 

突然 降り注ぐ 怪しい放射能

福一のプレゼント 無理矢理

54か月の過酷な避難旅

このウランをどうすりゃいいの 国が町を救ってくれるの

ここにセシウム プルトニウム こいつはまさに大迷惑

 

 

 

別に、過酷ではないけどよ、俺には。両親にとってはどうかは知らんが、まあ、接している感じ、人生それなりに楽しんでいるようだから大丈夫だろう。

 

元ネタはこちら。だが、32か月よりも長いぞ、こら。解除がまだまだ先、と言うか、解除にならないであろう人もたくさんいるから、贅沢は言えんけどね。

 

2016712日午前0時、南相馬市の大半は避難指示が解除された。あの日、2011311日から54か月。

 

色々なことがあったから、こんなにイベントが盛り沢山だった割りにはまだこれしか時間が経っていないのか、と。酔生夢死で過ごしている割りには時の流れが遅いな、長いな、と感じる。

 

親はまだ家には戻らない。スーパーや病院の再開待ち。でも、電車も再運行され、旅館や食堂も営業し始めた。少しずつ、人も戻って来るか。学校も来年には、と言う話だ。

 

今日はそれなりにあちこちでニュースになっていたので、巡回して見て回った。一応無関係ではないしね、見たことがある景色の現状も映像で見れるし、情報ぐらいは仕入れておこう。

 

今年の「相馬野馬追」は、72325日。例年以上に盛り上がるはず。この地の相馬氏は、平将門の血筋。武芸に秀でた将門公に倣い、武士の命である武芸を磨いて絶やさぬ為に、このような祭りがある。今日、南相馬市長も「もののふの心意気を見せつける」とか言っていた。

 

ただ、平将門の子孫なんだし、打ち首獄門に晒された恨みを晴らす為にも、ぼちぼち朝廷に勝ちたいところだが。明治維新でもやられているし、今回のも、国に負けたみたいなもん。鎌倉、室町、江戸の頃は、そこそこうまく立ち回ったみたいだけど、何とか負けなかったぐらいで、勝った、とは到底言い難い。一応、相馬氏は今まで御家は断絶していないから、将門公の恨み、晴らさで置くべきか、ってことよ。

 

何にせよ、避難命令の解除は、悪い話じゃない。原発と聞くだけで思考停止して反対反対、福島はもう人が住めない、とか騒ぐ奴もいるが、一応は国が安全の御墨付きを出してくれたんだから、素直に喜ぶべきところだ。

 

陰謀論が大好きな阿呆は、その手にガイガーカウンターを持って市内全域を歩き回って、そのデータを提出しな。その上でいかに危険かを訴えりゃあ良い。科学的根拠もデータも無いのに叫ぶことを、デマ、と言う。覚えておけ。

 

(続)

 

・菜彩

久茂地のいつもの。大将の御勧めで公魚(わかさぎ)を食ったのだが、これが非常に旨かった。正直なところ、俺はあまり公魚が好きでない。身が少なくて骨が多いから。でも、今回のは身も多く、だからこそ、その身の味が楽しめた。大将が言うには、仕入れの段階で、見ただけで、これは旨いとか、見当はつくらしい。ここに来た時は、料理は大将に御任せで頼むぐらいでも良いだろう。

 

・桜家

久米のいつもの。色々な方から話が聞けるのが良い。常連客であるこっちの飲食業界の重鎮、某Sさんから、選挙対策の話を。結果、さすがに重鎮のバックアップがあって、スピード当選、いや、speed当選。Sさんから「大臣(歯舞が読めない奴)は落ちそう」と聞いていたが、本当に落ちた。選挙なんて、動かしている人からしたら、やる意味も無いんだろうな。結果を見るまでも無い、ってところ。そういう力があるSさんには、出来れば、先輩として、ヅラを叱ってやって欲しいと思っているが、まあ、人間色々しがらみはあるからね。俺はそんな偉そうに頼み込める身分でもないし。

 

・大阪王将

西原のサンエー内にある餃子屋。御存知の通り、「餃子の王将」と揉めている片割れ。沖縄には「餃子の王将」はなくて、「大阪王将」が県内のサンエーのテナントに数軒あるだけ。スーパーではここの餃子が売っているらしいが。初めて食ったが、旨くは無いね。値段は全般的には安い気はするが、餃子の王将の方がもっと安かった様な?餃子の味も、スーパーで売っている方が旨い。いつも家で作ってくれるバシの腕が良いのかも知れんが。どっちにしても、わざわざここで外食する価値は無いな。

 

前の続き。

 

ついでに、勉強。木炭は燃料としてだけでなく、脱臭剤や浄水器などにも使われている。木炭には微細な穴がたくさんあるため、これが不純物を濾過する働きがあるそうだ。木炭を更に処理してこの穴を増やしたものが活性炭機能を活発化させた炭、と言うところか。

 

炭ついでに、木炭以外も。俺が良く飲むウィスキー、ボウモア、これは麦芽を乾燥させる際に、泥炭、ピート炭とも呼ばれるが、これを燃焼させて香り付けをする。この泥炭は、湿地帯に溜まった、分解されていない植物の遺骸。泥が燃えるって、なんかイメージが付かないが、そういうことらしい。

 

これがさらに圧縮されて固まったものが、石炭。名前は誰でも知っていても、見たことがある人は少ないはず。昔は身近だった燃料も、この現代ではその辺に転がっているもんじゃないし。石炭、見た目は石だから、これに火を付けて燃える様子を見てみたい気はする。石が燃えるって、不思議。一応、個人でもネットで買えるようだ。

 

練炭は石炭を加工したもの。元々は暖房などの燃料だが、最近の使い道は主に自殺なので、ちょっと買いにくいだろう。密閉空間で燃焼させると一酸化炭素が発生して、それで中毒死する。買う時に様子が怪しいと、使途を聞かれるそうだ。

 

現代の燃料は石油だけれども、石炭が生物由来と確定しているのに対し、石油は生物由来かそうでないのか、議論があるそうだ。ふーん、初めて知った。一応、生物由来説の方が有力とされている。原油も実物を見たことは無いな。

 

炭に始まり色々調べてみたが、こう見てみると、知っているようで知らないことがたくさんある。人生既に折り返しを過ぎつつあるのに、これ。無知の知を持っての、現実を謙虚に受け止めての飽くなき探求が必要、と言うことよ。

 

(続)

 

前の続き。

 

木炭は主に2種類、黒炭(こくたん、くろずみ)と白炭(はくたん、しろずみ)がある。炭の製法の違いで、一般的に目にするのは黒炭、それよりも手間を掛けて作られるのが白炭。有名な備長炭は後者だ。

 

備長炭、人の名前「備中屋長左衛門」から来ているんだな。備前、備中、備後、その辺りの地名かな、とか思っていた。「備中」屋ってところは合っていたけど、産地は全然違って、和歌山。紀州備長炭が本物だが、ブランドになっているから、名前を騙る偽物も多いそうだ。

 

黒炭と白炭、使う際の違いだが、黒炭は、値段が安く、着火しやすく、燃焼時間は1, 2時間、白炭は、値段が高く、着火しにくく、8時間も燃える。白炭は黒炭に比べ非常に硬く、自分で大きさをカットしたりすることは困難だそうだ。

 

バーベキューの場合、8時間も食い続けることはまずないだろうから、黒炭が良い。白炭だと火を付けるのに非常に苦労するらしいし、黒炭でも白炭でも、焼いた肉の味の違いはそこまで大きくはないよう(白炭の方が余計な臭いが付かないのはメリット)なので。

 

備長炭などの白炭は、飲食店など、ずっと火を絶やさない使い方をする場合に向いている。つまり、業務用。炭火は、黒炭でも、火が付いてから、安定して来て、調理が開始出来るようになるまでに30分程度は掛かるらしいから、これを考えると、白炭は素人が使うものじゃないな。高級の炭である備長炭を使った方が肉も旨いだろう、なんて安直な考え方は持つべきじゃない、と言うことだ。

 

因みに、同じ黒炭であっても、小さく砕けば火力は上がり、その分燃焼時間が短く、大きい塊ならばその逆になる。これは、焼く物や自分の好みで調節することになる。

 

(続)

 

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疑問その2、そもそも「炭」って何なの?どうやって作るの?どれくらいで燃え尽きるの?こう言う基本的なところの疑問。

 

解答その2。木材を蒸し焼きにしたものが「炭」。蒸し焼き、ってのがポイントらしい。俺は、木を燃やして、ある程度水分を抜いて、燃え尽きる前に消火した残りが炭、ぐらいのイメージを持っていた。全然違うようだ。

 

そもそも、薪と炭、何が違うのか。まだ焼いてないのが薪、焼いて処理したものが炭、それぐらいの違いだろう、と言う認識だったが、そんな簡単じゃない。薪と言うのは単なる枯れ木、せいぜい使いやすいように割って乾燥させる、ぐらいの手間を掛けたもの。だが、炭を作るには高度な技術が必要。木を焼けば炭になる、ってもんじゃないんだな。

 

上記のことを書いていて、調べたり記憶を手繰っている内に、昔、木炭を作ったことを思い出した。小学校の理科の実験で、割り箸をアルミホイルで巻いて木炭を作った。遠い過去のことで記憶の奥底に沈殿してしまっているだけで、「炭」について、かつて俺は知っていたんだ。使わない知識だから、漸く今思い出したが。

 

で、炭は、一般的には窯などで温度調整をしながら作る。家庭で作れるものでは無いだろう。更に、良い炭を作る為には高度な技術が必要らしい。「備長炭」が高いのは、質が高い炭を作る為の、職人の技術の価値にあると言えそうだ。

 

手間を掛けてまでわざわざ炭を作るのは、炭火に多くのメリットがあるから。こちらが分かりやすい。炭は薪と違って、炎が上がらない、煙が少ない、燃焼時間が長く、風雨によって消えづらく、火力が安定していて、団扇などによって火力を調節出来る、と言うことだ。

 

炎が上がらず煙が少ないのは、木炭を作る際に蒸し焼きすることで、薪の中にある可燃性のガスを全て抜いてしまっているから、だそうだ。木炭を燃やしてもガスが出ないから、炎も煙も上がらない、と言う訳。

 

で、ガスが出ないと、燃焼するのは空気と接している表面だけになるから、火力が安定し、燃焼時間も長い、と。分かる様な分からない様な。まあ、ガスが出ると、ガスが発生している薪の内部からも燃えてしまう、だから、薪はすぐに燃え尽きてしまう、と言うことなんだろうね、多分

 

また、木炭は、元の木材の不純物なども既に焼いて処理したものなので、純粋に近い炭素の塊。その為、薪のように臭いなども発生しづらい、と言うメリットもある。以上が薪と炭との大きな違い、と言うところだろう。

 

(続)

 

前の続き。

 

しかも、炭ですら着火させるのは相当大変で、その為に別に燃料が必要だと、今回のバーベキューで初めて知った。着火剤を使うにも、炭を井形に組んだり、こつがいるようだ。炭に塗るジェル状着火剤なんてのもある。

 

火って、貴重なんだな。火を起こせなきゃ食中毒になる可能性も高い。20XX年、世界が核の炎に包まれて、海が枯れ、地が裂けた後、生き残って行ける自信は無い。

 

で、仮にキャンプ場で落ち葉や枯れ木を集められたとしても、火の質が悪い。灰が巻き上がったり火の粉があちこち飛んだり。これは、質の悪い木炭、例えば、保管状態が良くなくて湿度が高くなってしまったものや海外産のマングローブ炭、なんかでもそうなるようだ。このような火で肉を焼くのは具合が悪い。灰が付いた肉を食いたくは無いしね。

 

ガスではなくて炭火をわざわざ使う、その理由は、何となくは知っていた。炭火焼きの焼き肉屋に行くと、ガスを使った場合と比べて炭火焼きがいかにおいしいかと言うことが、その理屈と共に書いてある。遠赤外線とかなんとか、ふーん、なんか良く分からんが、そんなもんか、ぐらいのレベルでしか理解していないけど。これが分かりやすいか。

 

まあ、一番は気分の問題だと思うけどね。折角自然のある場所に来て、その中でバーベキューをやる、その時に、文明の利器、普段の料理で当たり前に使っているガスコンロで、調理するのは味気ない。逆に、現代の都市の住宅では炭火を使って調理するのは困難。となれば、ここぞとばかりに炭を使うのが正しいバーベキューの楽しみ方、となる訳だ。

 

気分も良いし味も良くなる炭を使うのが当然。その分、火を起こしたりなんだり、面倒ではあるけど、こういうのも醍醐味の一つ。至福の雑用、みたいな。まあ、なんだ、こんなことを偉そうに言うのはちょっと気が引けるが。いつもいつも、ろくにバーベキューの雑用をやっていない奴が、どの口で言うのか、とは自分でも思う。荷物運びのような、技術がいらないことぐらいしか出来んから仕方あるまい。

 

(続)

 

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で、「火」、この話からしようか。俺にとっての「火」と言うのは、ライターをこするか、チャッカマンのボタンを押すか、ガスコンロを捻れば、点くもの。キャンプ場って言ったって、ガスぐらいあるもんだ。だから「炭」と言うものに接する機会があまり無かった。

 

炭火焼きの焼き肉屋、こう言うのでは勿論見たことはあるけど、俺がやったことと言えばせいぜい網の上に肉を置くだけ。七輪の中にある炭、これは眺めるだけの物であって、出て来る時には火が付いた状態でテーブルの上に置かれている。

 

「火」を自由自在に使いこなせるようになったことこそが人類の現在の繁栄の根幹である、とも言われる。「人間とは何か」と言う問いに対してこんな定義をされると、俺の人としてのランクは下から数えた方が早い。50億位ぐらいかな。この屈辱よ。普段、上位5%から10%には確実に入るはずだと思い込んでいるのに。だから今まで大っぴらに言えなかった。

 

俺にとっての「火を起こす」と言うことのイメージは、着火がとにかく大変、だが、火が付き始めたら、後は、落ち葉だの枯れ木だのをくべて燃料を絶やさなければ勝手に燃え続けるもの、と言う感じ。

 

さて、疑問その1。キャンプ場ってのは大概自然の中にある。自然の中には落ち葉も枯れ葉も、その辺に腐るほどある。なのに、何で「炭」なんて物を買って持って行かなきゃなんないの?バーベキューの火の燃料なんて、現地調達出来るんじゃないの?

 

以下、自問自答で解決して行く。解答その1。実は落ち葉も枯れ葉も腐るほど無い。むしろ、全然無い。生木は水分があるから燃えにくい、これは分かってはいたけど、「火」に対して直面すると、これを燃え続けさせようと意識した時、燃料を確保することの難しさに初めて気付く。

 

燃えるものなんてその辺に落ちているだろ?と思って自然の中でふと周りを見渡すと、意外に、どころか、かなり、無い。昔の社会において、薪を集めることがいかに重要な仕事であったか、火を前にして、漸くここに思いが至る。

 

ガスコンロを捻れば火は付く、ここに何らの疑問を抱かずに生きて来てしまった俺にとって、この事実は衝撃的。火を起こし、それを絶やさないことは、自然の中では実は相当に困難。その為の炭か、これで一つ解決。

 

(続)