連日飲んでいたりすると、飲んだ時、体のあちこちに赤い斑点が出る。確かに見た目はやばそうな感じがするんだけど、実は大したことが無い。空きっ腹だとか、疲れている時とか、その際に飲むとこうなる。
でも、斑点が出る時の方が酔わない。体調の悪さを感じて自動的に酒をセーブするからなのかも知れないが、今日は、ペース的には普通に飲んでいたような。
しかも、すぐに治る。帰って来たら、顔と、肘、膝の斑点は消えていた。まあ、一応ヘパリーゼを飲んでおくか。ついでに、酒も。まだ正気なので。何か、損した気分。もう一軒、バー坂梨にでも行けば良かったか。
人間、そうそう病気になんぞならんよ。恐れる奴から死ぬ、結構本気でそう思っている。俺は、いつ死んでも構わんとか言っているけど、実は、自分で、不死身なんじゃないかな、と思っている。だから、もし貴重な死ぬ機会が来るなら、それもそれで滅多に無い経験なので、受け入れてやろう。どうせまた火の鳥の様に復活するので。
こう思っていて、損は無い。マイナス思考の奴はいつも恐れで生きるだけ。これで楽しいかな?人生。俺はプラス思考。その思考は細胞にまでも伝わっている、と信ずる。俺が生きる意志を持つ限り、俺の全ての細胞もそれに応える、と信ずる。俺が死ぬ時は、俺の意志が折れた時だ。
危ない宗教家みたいだな。実存主義の哲学者ハイデッガーは、人とは「死への存在」と言った。「人は必ず死ぬ」、この現実を直視した時に初めて、唯一、他の誰でもない自分としての実存を自覚出来る。この自分の存在を忘却して、つまり、自分の死を直面出来ずにのうのうと生きているのが現代人である、と批判した。
糞だね。ハイデッガーは、初期のナチスに加担している。ナチスを積極的に支持していた糞野郎。こんな奴の言葉に耳を傾ける必要は無い。見る目が無いんだから。どんなに理論が素晴らしく見えようが、現実にやっていることが糞なら、その理論も糞だ。
俺は全然逆。「永遠に生きる」ことを考えるべき。明日死ぬと宣告されて、もしそれで自分が終わりと考えるなら、無銭飲食もレイプも平気でするよ。明日死ぬのに、ルールを守って、何の意味がある?
多くの人間は、こんな自暴自棄にはならない。自分は死んでも、明日があるから。それは、自分の魂を永久不滅にする為にはどうしたら良いのか、と言うことを常に考えているから。家族を持ち子供を育てるのも、自分の魂を次に繋ぐ為だ。
自分が死んだところで、まあ、俺は死なないんだけれども、この俺の魂が、ゴミみたいな下らないものかもしれないが、他人に多少の影響を与えて、この世界に残る。これはそのうちだんだんと小さくなって消えてしまうものかもしれないが、人から人へと、多少なりとも継がれていく。
だから、死を宣告されたところで、やけっぱちな行動はしない。ハイデッガーとは真逆。人間は「死への存在」では無い。「永久の生への存在」だ。
永久に生きると仮定して、いや、これは仮定じゃなく、実際に生きているんだけど、ここで既に死人であるハイデッガーを引き合いに出しているように、この点ではこいつはまだ多くの人間の心の中に生きている訳で、俺は糞だと思うけど、生きるべき。
分かりづらいか。人の生き様は家族や他人の心に刻まれ、どんな無名の人間でも、その魂は永久に残る、と言うことだ。だから、自分の人生は永遠。死んで終わり、完全リセット、なら、糞みたいな人生を送ろうがどうでも良いけど、永遠の生を考えれば、リセット出来ないし、考えて行動する。
自分の人生を永遠の物と考えるからこそ、そこに倫理観が生まれる。後世に伝えたい、と言うことが倫理の本質だと俺は思っている。だから、ただ健康に気を使って無為に生き永らえれば良い物でもない、と言うこと。
心配をして頂ける事には感謝はする。だが、死なんよ。不死身なので。酒を飲んでの管巻きも、俺の永遠の生への種蒔き。
あんな斑点が出ていても、こうして飲みながら文を書くぐらいは出来るしね。ちんたら飲んでいたら、斑点は全て消えた。さて、まだまだ行こうか。調子に乗り過ぎか。