なぜ岡村隆史はこんなにも叩かれなくてはならなかったのか② | エメルソン・レオンのブログ

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やっハロー、皆さんこんにちは。前回のブログの続きだよ。
前回のブログでは、コメディアンの岡村隆史が、ラジオのオールナイトニッポンの自身の冠番組の中で、女性に対する差別的、侮蔑的な発言があり、それが激しい反発をよび、岡村隆史が謝罪に追い込まれたことについて書いた。
私は岡村は、コロナウィルス騒ぎで職を失い、いま困窮している世の中の女性全般の事を対象にした発言ではなく、無名若手の芸能人を念頭においた発言だと書いた。これだけ問題が大きくなってしまったら、岡村の芸能人としての立場上、それが稼ぎ場所を失った若手無名女性芸能人の事だったと今さら弁解できない。
リスナーから「いま、コロナウィルスのせいで風俗のお店に通えません。」という質問を受けて、仲間からの相談に生真面目にも「我慢をしていれば、必ずいいことがあります」と答えてしまったのだ。不用意といえば言えるが、本人もここまで問題になるとは考えていなかっただろう。仲間内の話だという感覚もあっただろう。
それが本人の予想外とも言える、批判を浴びてしまった。本人が非難されてしまうという意識がないから、こんな発言をマスコミが許容しているから、日本の社会はダメなんだ、問題なんだという人が、主に岡村の発言を批判しているのだと思う。
代表的なのは、社会学者の藤田孝典である。
彼は岡村の発言を激しく批判し、「二度とこのような発言を許してはならない、マスコミも無自覚にこのような性差別を煽るような発言を許容したのは反省、検証するべきだ」と述べた。さらに藤田先生は、「困窮している女性を福祉を通して助けるのではなく、性産業に誘導して、身体を売らしている日本の社会は野蛮な社会である」とまで言った。
藤田センセイ、後半の部分はさすがに言い過ぎた。
この藤田孝典という社会学者は、非常に優秀な学者だ。特に貧困と福祉の問題を扱わせたら、いまの日本では屈指の存在だと思う。私は彼の著作も読んだことがあるし、講演も聞いたことがある。私の個人的な意見としては、優秀な学者である。
しかし、今回の岡村隆史の発言に対する批判は部分的には正当にみえても、全体トシテハ間違っている。だいたい私は藤田孝典自体に、女性の権利や人格を擁護しながら、他方女性に対して蔑視感や差別意識があるのではないか、と思えてならない。正確にいうと、性産業に従事していない女性の権利や人格は尊重しているが、性産業で働いている女性に対しては差別意識や蔑視感を持っているのではないか。
それは彼がネットにあげた文章で「日本の社会は女性を性産業に誘導して身体を売らしている野蛮な社会」といった表現だ。
確かに直接的な表現で、インパクトは強い。しかし、「身体を売らしている」「身体を売っている」という表現は、性産業に従事している女性の行為を著しく蔑視していて、差別的な表現ではないのか。
身体を売る、という表現は売春を語る上で慣用句みたいになっているので、つい言葉にして言ってしまう。しかし、言葉に出してしまう事と、実際に本やネットに文章として書いてしまうのでは、かなり意味合いが違うのではないか。
身体を売る、という表現は文芸作品の中では許容される表現かもしれないが、ドキュメンタリー、評論などの文章の中ではあまり使うのは好ましくないのではないか。藤田センセイの潜在意識が、性産業に従事している女性に対する潜在意識が、不用意に文章に出てしまっているのではないか。ちょうど岡村隆史が、ラジオ番組で、美人がお嬢やります、と不用意に言ってしまったように。
身体を売る、という表現を文章でみると、私でも少し不快になるし、違和感を感ずる。「自分の性を商品化して売る」という表現は、実態を正しく表しているから問題はないと思う。しかし、身体を売るかあ、例えそれが否定的な用法として使われているとしてもネットにそのままあげるのはどうかなあ。
なんか、また長くなったので、続きを近々書きますね。岡村隆史に対する批判の何が問題なのか、ということを次でさらに書いていきたい。ごきげんよう。