孝明天皇と明治維新 | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

本年10月7~9日にかけて、歴史体験セミナー(日本協議会・青年協議会主催)が開催されます。

 

今回のテーマは明治維新で、京都にて「孝明天皇」について学びます。

 

 

 

 

関連して、『祖國と靑年』では、4月号から「孝明天皇と明治維新」という連載が始まっています。

 

 

5月号では、

「光格天皇、仁孝天皇、そして孝明天皇へと連なる祈り」と題する星原大輔氏(大倉精神文化研究所)の記事が掲載されています。

 

 

明治維新というと、明治天皇にスポットが当たりがちですが、明治天皇の御心がいかにして磨かれてきたのでしょうか。

 

本記事では、明治維新の背景には、父の孝明天皇、祖父の仁孝天皇、そして曾祖父の光格天皇と、歴代の天皇の御心と祈りがあられたことを明らかにしています。

 

 

明治天皇の父君であらせられる孝明天皇の御生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか。

 

以下、本文より引用。

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明治になると、わが国の国家体制は、幕藩体制だけではなく、長らく続いた摂関政治も廃止されて、天皇を中心とした立憲君主制へと変わった。幕末期の政治過程によるものであるが、その中心には孝明天皇の五存在があった。

 

孝明天皇は、天保2年(1831)第120代・仁孝天皇の第4皇子としてご生誕され、弘化3年(1846)1月に仁孝天皇の崩御により、御年16で践祚された。

 

それから慶応2年(1867)12月の崩御までの約20年間に、6度も改元されているように、実に激動の御代であった。

 

明治天皇の生母である中山慶子は、崩御直後に・中山忠能(ただやす)に宛てた書翰で、

 

御二十歳頃より天下擾(さわ)ぎ掛かり、一日一夜御安心にての御間もあらせられず、実に〱御苦慮のみにあらせられ、(中略)実に〱なにすれぞ御災難にあらせられ候御事やと悲泣(ひきゅう)の外なく、前後を忘れ候。

 

と記している。

 

前号にて「孝明天皇の祈り」とあったが、典侍(女官)として孝明天皇に仕えていた彼女の文章から、その祈りは想像を絶するほど深いものであられたと思われてならない。

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この後の文章では、孝明天皇が国のため民のためと祈られた背景の一つに、父・仁孝天皇、そして祖父・光格天皇のご存在があったことが記されている。

 

明治維新について、理解と感動が深まる文章なので、続きはぜひ『祖國と靑年』5月号にてお読みください。