8月8日の陛下のお言葉で、特に私の印象に残っているのが「伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し」とおっしゃっていることです。
「ご公務」であれば、その時々で足したり減らしたりすることはできますが、「伝統」の継承は負担を軽減するなどということはあり得ないことです。
歌舞伎などの伝統芸能を思い浮かべれば、伝統の継承とはすなわち舞台に立ち続けることです。年老いてそれを見守ることではありません。陛下にとっては「天皇を生きる」ことが伝統の継承であって、「全身全霊」で務めを果されるのも、そのような意味合いが含まれているものと拝察致します。
仮に摂政が20年続き、天皇不在の新嘗祭がそれだけの長期間続けば、伝統は途切れてしまいます。さらに20年後の新たな天皇が高齢のため新嘗祭にお出ましになれないということになれば、本当に断絶の危機に陥ります。
かつてであれば、親子三代で、子が親になり、親が祖父母になる頃には先代は亡くなって代替わりが割とうまくいっていました。人間の生物としてのサイクルと世代交代のサイクルがうまくマッチしていたわけですね。ところが高齢化社会になると、生物としてのサイクルがどこまでも伸びて、世代交代のサイクルと齟齬が生じるようになりました。三笠宮殿下が100歳のご長寿であられたことは喜ばしいことですが、その一方で三笠宮殿下のご子息であられる三殿下は三笠宮殿下より早くお隠れになりました。
繰り返しますが、ご公務の調整はその時々でいくらでもできますが、伝統の継承はそういった即時的な対応ではどうにもならないのです。陛下が「負担軽減や摂政では根本的な解決にならない」とおっしゃっているのも、そのあたりのことが念頭にあられるのではないでしょうか。
陛下はお言葉の中で、国民のために祈ること、すなわち宮中祭祀の伝統を「天皇の務め」と表現され、その天皇の務めを果すために各地への行幸などの「象徴の務め」を行ってこられたと述べておられます。宮中祭祀は一般に「私的行為」と解されているため、「象徴の務め」に入れられないので、そういう分け方をされているのだと思います。
しかし、ここの文脈をよく読んでみますと、陛下は「祈り」を「象徴の務め」と不可分のものと提示されることによって、宮中祭祀もまた憲法に規定された象徴としての不可欠の行為であるとおっしゃっているようにも思えます。象徴の消極的機能と積極的機能を一体化させることによって、「私的行為」と貶められている前者は、「象徴行為」として公的に認められるようになった後者と同一の位置に引き上げることができるのです。
有識者ヒアリングでは、この「伝統の継承」という問題はあまり正面だって論じられていませんが、ここにこそ問題の本質があるのではないかと思うのです。