北朝鮮の工作母船に「立入検査」 | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 今日は、前回の続きで、「祖国と青年」5月号の伊藤祐靖さんの講演録から、「立入検査」の場面をご紹介します。



 そうこうしているうちに、不審船が止まりました。止まったということは「立入検査」です。が、本当に立入検査をさせるのだろうかと思いました。なぜそう思ったのかといいますと、私は教育訓練係でもありましたので、「立入検査」訓練を一度もしていないことを知っていたからです。拳銃を持ったこともない者が北朝鮮の工作母船に乗り移ればどうなるか。確実に全員死にます。


 一度も訓練していないなんて、そんなことがあるのかと思われるでしょうが、立入検査という発想自体、もともと軍隊のものではないのです。海軍がやるのは船の壊し合いで、相手の船に乗り込んで何か調べるということはやらない。ところが当時、核拡散防止のために、核を密輸入する船を軍艦が捕まえるという風潮が生まれて、各国とも研究していました。日本の海上自衛隊も研究して、第一次案ぐらいは来ていました。だから、計画だけは作っていたのです。誰が乗り込むかも決まっています。


 乗員は、艦に着任するとまず番号をもらいます。例えば「一二五四番」をもらうとします。「部署」という書類を調べると、一二五四番は「出港用意」という号令がかかったらどこに行って何をするのか、全部決まっています。だから、号令が一つかかれば艦の中は一斉に動くわけです。乗員は着任するとこれを全部覚えますが、彼らが一つだけ覚えていなかったのが、この「立入検査」なのです。


 「立入検査隊員集合」とかかると、全員「誰だ、誰だ」と言って「部署」を調べる。すると、「俺だった…」と気付くわけです。憲法改正DVD「世界は変わった 日本の憲法は?」では「立入検査隊員は志願した」と言っていましたが、あれは間違いです。志願ではなく、決められていました。


 立入検査隊員は食堂に集められ、一通りの説明を受けました。みんな真っ青で、暗い表情でした。説明が終わると、装備装着等のために一旦解散し、十分後に再集合することになりました。


 十分後、再集合した彼らは、DVDにもあったように、みんな防弾ベストの代わりに「少年マガジン」などの分厚いマンガ雑誌をガムテープでグルグル巻きにして身体に巻いていました。滑稽といえば滑稽なのですが、私は彼らの表情を見て驚きしました。先ほどまでの暗い表情とは打って変わって、清々しく、自信に満ちた表情なのです。悲愴感など全くなく、誰が見ても絶対に見とれてしまうような、それほど美しい表情でした。きっと特攻隊の先輩は、みんなこういう顔で行ったのだなと思いました。