八月十五日からの「戦争」――この「祖国と青年」3月号のテーマは、天川悦子さんの言葉から取りました。
天川さんの満洲での凄絶な体験については本誌を読んでいただくとして、この「8月15日からの戦争」について触れられた箇所には、若い世代に向けたメッセージが込められているので、以下、ご紹介します。
今、若い人たちが「平和、平和」と言っていて、もちろん平和がいいに決まっているのですが、「戦争がなければ平和」などと言っているのを聞くと、ものすごく腹の立つことがあります。
日本にいらした方は、八月十五日を境に平和になりました。それまで灯火管制で、いつアメリカの飛行機が爆弾を落とすか分からない。それが八月十五日を境に、アメリカの飛行機は飛んでこなくなりました。それどころか、ジープに乗ったアメリカ兵がお菓子を持ってやって来る。本当の平和が来たわけです。だから日本内地にいる人は、戦争が終わったら平和、ということしか知りません。
しかし、私たちは八月十五日から「戦争」になったのです。満洲の開拓団をはじめとする様々な悲劇は、そこから始まったわけです。そこに日本内地で「平和」を迎えた人と、外地で終戦を迎えた人の大きな違いがあります。
外国にいて、祖国がなくなるとはどういうことか、ということです。国がなくなるのですよ。誰も保証の仕手がない。交渉の仕手がない。どんな目に遭っても掛け合う「国」というものがなくなっている。私たちは、殺されたら殺され損、死んだら死に損、生きる人はそれだけ運が強かった、という境遇に陥ったわけです。その日から、庇い手は全くなくなった。
だから個人の平和を言うのはいいですが、国というものをなくして平和はない、と私は思っています。今「国」と言うと、何か悪いことのようにとらえ、「いや、個人の平和だ」と言うのですが、国がなかったら日本人としての平和はないということを、若い人に分かっていただきたいと思います。