終戦70年に思うこと② | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 昨日の続きです――。


 戦前と戦後の日本人の精神に大きな溝が横たわっているということは、そのことの賛否は別として、誰もが認める事実だと思います。


 終戦70年に際し、私たちが当時の方々をお偲びするということは、その溝を埋めたい、つまり、日本人としての連続性を確認したいという欲求に基づくものに他なりません。


 そして、戦前と戦後の溝を埋めることは、単に世代の溝を埋めるだけでなく、そのまま日本の歴史との連続性を得ることになります。


 なぜなら、戦前までは歴史がつながっており、それが外的な力によって断たれたのが戦前と戦後の切れ目だからです。


 何も私は、戦前までの精神を全て肯定せよ、と言っているのではありません。もちろん正すべきことも多々あることでしょう。しかし、少なくとも、昭和20年8月までは、日本人のあり方について、日本人自身が試行錯誤しながら決めてきました。仮に大きな変化があったとしても、それは日本人自身が自ら選択したものでした。


 しかし、今の憲法は違います。占領軍の悪意があったということは別にしても、少なくとも、日本人自身が自分たちの来し方を振り返って、その総括として生み出したものでないことだけは明らかです。


 そこにアイデンティファイすれば、根無し草になるのは当然です。


 私たちが憲法改正を志向するのは、もちろん9条を改正して「普通の国」にならなければということもありますが、「日本人でありたい」という民族の根源の欲求の発露なのです。


 他国と同じような「普通の国」ではなく、日本が日本であるための価値観を憲法に書き込むためにも、終戦70年の今こそ、戦前の方々が身につけていた価値観について、深く思いを致さなければならないのではないでしょうか。