ペリリュー戦体験者・土田喜代一さん | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 昨日のブログで、両陛下が御所でペリリュー島で戦った元日本兵2人の話をお聞きになったことを紹介しましたが、実はその前日、2人の元日本兵のうちの1人、土田喜代一さんのお話を伺う機会がありました。


 靖國神社遊就館で行われた「正論」主催の「大東亜戦争を語り継ぐ会」で土田さんが招かれ、井上和彦さんが解説を加えながら、お話をお聞きしたのです。


 土田さんは御年95。ペリリュー島での戦闘時は海軍上等水兵でした。私も初めて知ったのですが、実はペリリュー島が玉砕した後も昭和22年4月まで戦い続けた34名の日本軍将兵がいて、土田さんはその1人だということです。


 土田さんのペリリュー島の戦いのお話の中で一番印象に残ったのは、小寺亀三郎一等兵の話でした。


 ある時、海軍の通信壕で、中隊長が戦車攻撃に出る者を3名募りました。棒地雷で戦車に突っ込むという攻撃で、生還を期せません。2名まで手を挙げ、土田さんは志願しようかどうか逡巡していたそうです。その時に手を挙げたのが、小寺一等兵でした。


 小寺一等兵というのは、昨日まで土田さんが小銃の撃ち方を教えていたくらいの弱兵でした。実戦経験もおそらくない。その弱兵たる小寺一等兵が、「散る時は潔く散れと親に教えられました」と告げて、勇敢に出撃していったというのです。


 土田さんは、「その小寺一等兵の姿が、70年を経た今も忘れられない」と語っていらっしゃいました。


 また、両陛下がペリリュー島を訪問されることについても、土田さんは昨年9月、ペリリュー島で行われた70周年の式典に出席され、ペリリュー島に行くのもこれが最後と思い定めていたのですが、帰国後に両陛下がご訪問されることを聞き、本当にびっくりしたといいます。


 そして、「ペリリュー島で戦死した1万名、靖國神社に眠る1万名がどんなに喜ぶだろうか」と繰り返しおっしゃっていました。


 昨年が最後と思い定めていた土田さんですが、両陛下が訪問される4月、もう一度ペリリュー島を訪れるそうです。