2つのガッチャマン | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 夏アニメもそろそろ終盤を迎えています。


 私の中の、今期一押しのアニメは「ガッチャマン・クラウズ」です。終盤に入ってからの燃える展開もすごくいいです。


 一方で、実写映画のガッチャマンは酷評ばかりが耳に入ってきます。まあ、私はそもそもアニメの実写化に否定的な考えを持っていますから、仮に評判が良かったとしても観に行く気はないですけどね。


 ただ、何で「大コケ」したのかは気になります。(過去、「ヤマト」と「ヤッターマン」はうまくいったそうです。)


 オリジナルの熱烈なファンで、「こんなのガッチャマンじゃない!」という批判はおいておきます。そんなこといったら、アニメの「ガッチャマン・クラウズ」もガッチャマンじゃありませんから。


 で、実写批判の指摘の中で、私が気になったのは次の2つです。


 ①鳥の要素がない。

 ②「バード・ゴー!」(変身の掛け声)がない。


 あちゃ…、こりゃ確かに「ガッチャマン」じゃないわね…。アニメの方はこの2つの要素を外していませんよ。だから設定を全く作り替えていても「ガッチャマン」の名を冠することに、観ている方は納得できるわけです。


 個人的な意見ですが、特に②は重要ですね。ガッチャマンは「バード・ゴー!」の変身シーンをいかにカッコよく描けるか(変身の動機も含めて)が全てです。で、鳥の要素がないと、「バード・ゴー」って言葉が意味不明なのです。


 そういう意味では、アニメの方は作品自体のおもしろさはもとより、大胆にアレンジしながらもガッチャマンの要素をしっかり掴んで離さないところが魅力なのでしょうね。