一昨日の6日、故・寬仁(ともひと)親王殿下の「権舎一周年祭の儀」「墓所一周年祭の儀」が行われました。
また、寬仁親王殿下が薨去されてから、寬仁親王家では当主不在の状況が続いていましたが、寬仁親王妃殿下、彬子(あきこ)女王殿下、瑶子女王殿下は、三笠宮家に入られることになりました。
寬仁親王殿下は、三笠宮殿下のご長男で三笠宮家を継ぐお立場だったため、他のご兄弟のように「桂宮」「高円宮」といった宮号をお持ちではありませんでした。
それが、御父・三笠宮殿下より早くお亡くなりになったため、今回のような形が取られたわけです。
ただ、三笠宮家に入られるといっても、それぞれのお住まいや職員は現状のままだそうです。
余談ですが、昨年の「女性宮家」の議論の際、宮家というものは、皇族が結婚されると自動的に建てられるものであるかのように語られていたことがありましたが、それは正しくありません。桂宮殿下は独身であられましたが、昭和天皇から宮号を賜りました。
もちろん、ご結婚を契機に宮号を賜ることがほとんどなのですが、独身、結婚に関わらず、宮号は、天皇が独立した生計を立てさせてもよいと思し召しになった時に賜るものなのです。