映画「三島由紀夫と若者たち」 | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 今年の夏ごろでしょうか、「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」という映画が上映されました。


 私も一応観に行ったのですが、特に感動するでもなく、かといって特段悪いのでもなく、何か中途半端な印象で帰ってきました。


 三島さんの小説や思想背景について一切触れていないので、何も知らない人がこの映画を観てもよく分からないだろうな、という映画です。


 でも、ある程度事件の背景に通じている人なら、「こういうこともちゃんと入れてるんだ」「あれ、ここはこういうことだっけ?」などと思い当たるシーンがいくつもあって、そういう意味で印象に残る場面はいくつかありました。


 私が特に興味をひかれたのは、三島さんたちの「教官」に当たる山本舜勝さんでした。


 山本さんは旧陸軍の情報将校で、戦後は自衛隊調査学校でゲリラ戦の研究をされた方です。この山本さんが、三島さんの祖国防衛隊構想に共鳴し、三島さんや楯の会メンバーに軍事訓練を施していくわけですが、次第に袂を別っていきます。


 私が印象に残っているシーンは(うろ覚えなので正確ではないですが)、次のようなものです。


 ある日、三島さんが決起の計画を記した紙を山本さんに提示し、意見を求め(というより、共に起つことを迫り)ます。山本さんは軽挙を戒め、「まだその時期ではない」と諭します。すると三島さんは「あなたは内からの声によって動くということができないのか!」と怒りに震え、灰皿の上で紙を燃やし、部屋を出ていく――。


 これに類したエピソードは確かに山本さんのご著書にあるのですが、そのご著書で確認してみると、三島さんは実際には口に出してこんなことは言われていなくて、それに類するセリフは、山本さんが三島さんはきっとこう思っているだろうという「心の声」として書かれています。


 しかし、いわば軍事のド素人とも言うべき三島さんが、中国戦線で実戦経験も持つ根っからの軍人に食ってかかるその気魄は真実であり、神風連、そして2.26の系譜に連なろうと志す三島さんの心中が偲ばれてならなかったのでした。


 ちなみに、この映画の監督・若松孝二氏は、来たる憂国忌を迎えることなく、先月中頃、不慮の事故でお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。