「被災地に寒き日のまた巡り来ぬ」 | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 間もなく東日本大震災一周年を迎えます。


 陛下は5日にご退院され、昨日は胸水を抜く治療を受けられました。未だご静養が必要なお身体ですが、追悼式典ご出席に向けて調整なされていることと存じます。


 今日は、「祖国と青年」3月号から、陛下の「被災地に寒き日のまた巡り来ぬ心にかかる仮住まひの人」の御製について、宮城県神社庁庁長・千葉博男さんと同参事・村田守広さんが語られている箇所をご紹介します。




 ――震災から一年が経とうとしておりますが、陛下は年頭ご発表の御製で「被災地に寒き日のまた巡り来ぬ心にかかる仮住まひの人」と被災者の身の上を案じておられます。


千葉 本当にあれから一年が経って、また「寒き日」が巡ってきました。陛下は「仮住まひの人」をご心配になっていますが、仮設住宅は急ごしらえで建てましたから、不備も多いのです。今慌てて断熱材を貼り合わせたりしていますが、他にも私が聞いた話では、仮設住宅に住んでいる人たちは、欲しい物はいろいろあるのだけど、狭くて物をたくさん置くことができないと言っていました。みなさん、ストレスを感じながら生活しているのだと思います。

陛下には、仮住まいの人たちに至るまでご心配いただきましたが、こうした御製を、ぜひ多くの人たちに知っていただき、政府や関係者にもよく噛み締めていただきたいと思います。


村田 昨年、震災があった後、こちらでも結構雪が降りました。このあたりは三月下旬ぐらいに雪が積もるというイメージはあまりなかったので、「こんな時に限って――」と思ったことを覚えています。その頃の被災者はまだ避難所生活でした。それから一年が経って、今は仮設住宅になりましたが、やはり寒さ対策がなかなか追いつかなくて大変なようです。地元のニュースでも、よく水道管が凍るという話を聞きますし、サッシも建物によって相当違いがあるようで、この「寒さ」というのは、相当身に沁みる状況のようです。


千葉 気仙沼や石巻あたりはマイナス六度とか七度とかいう寒さですから、やはり身に堪えるのではないでしょうか。


村田 風呂場に入っていても息が白くなるという話です。


千葉 私どもも去年の秋、仮設住宅に入っている人たちを招待して雅楽の夕べを催したのですが、これから寒くなるという時期だったので、冬物の衣類のいただきものを廊下に並べて持って帰っていただきました。震災があった三月当時は、これから温かくなるものですから、冬物は残ったのですが、秋にはほとんどの人が持っていかれました。そういう意味では、時期に応じた支援というものが必要なのだと思います。


――他にも、両陛下は今回の震災に関する御歌を多くご発表になりました。


千葉 今回の震災では、大津波で本当に多くの方々が犠牲になっておりますので、御製を通して陛下の胸の内といいましょうか、心配していただいていることを身近に感じて、非常に勇気づけられる思いが致します。

陛下は、直接国民にお気持ちを伝えることがなかなかおできになりません。明治時代に御歌所の初代所長を務めた高崎正風は、陛下の御心を国民に知らせるために意識的に御製を漏らした、と聞いております。ですから今、このように両陛下の御製・御歌に触れることができるのは、大変ありがたいことだと思っています。