村上春樹は結局「エルサレム賞」を受賞した。
 そして現地入りしたのである。

 俺は受賞を辞退すべきだとは思わなかった。
 過去のソンタグのように受賞して、その受賞演説の中で痛烈に世界のあるべき方向を述べればよい。
 これは作家が作品を書く言葉とは別種の言語をもって、世界政治に直接触れ得る貴重なタイミングである(あらゆる言葉を作家は吟味、使用すべきである以上、社会言語から隔離されていることは原理的に不可能だと俺は考えている)。


 つまり、村上春樹の演説こそが、まさに彼を世界のムラカミか、そうでないかを決めるであろう。


 演説家の俺にはまことに気になるところだ。







 ちなみに、一方その頃、ローマでの先進国首脳会議での中川昭一財務大臣兼金融担当相の、この記者会見の応答(広い意味では演説)の画像はどうか。


 これは、その前のなんだかかっこいいロイターの中川昭一の記事と違う。
 (ロイター発のこの記事では、なんとわざわざずいぶん昔の顔写真を使っており、その意味も不明)

 では、違いはなんなんだ? 時間の問題なのか?


 泥酔であれば政治生命はないだろう。
 世界同時景気後退と戦うための世界会議の記者会見でこれは周囲を含めたるんでいる。
 日本はどうすべきかのシリアスな注目の中で、しゃべれないほど酔っていてはいけない。

 脳溢血などの問題が疑われれば、彼自身のためにすぐさま休んでもらった方がいいし、むろん日本の政治のためには大臣の一刻の猶予も不可能である。
 ちなみにオバマは法案成立のための一票を獲得するために政府専用機まで飛ばして改革に集中している状況なのだ。