2020年、宝生流二十世宗家・和英氏の企画として“能にまつわる場所の魅力について、能楽師・澤田宏司氏が私いとうにあれこれ教えてくださる”という『能楽紀行』が始まり、第一回は『野守』を取り上げて、”春日野の旅と野守にまつわる言い伝え”についてご案内いただき、なおかつ満員の観客の中にまぎれて、実際に『野守』を観劇したのであった。むろん宝生能楽堂でのことであった。
その折、ただ話を聞いて能を見るだけでは申し訳ないと思い、私は観客の皆さんのために『野守』を急いで現代語訳し、印刷していただいて配った。今読んでみると拙速なことで、誤りだらけであった。
したがっていつか直さねばと思い続けてきたのだが、この度、おそらくまだ思い違いも多い新訳を罪の意識ゆえに大慌てでまた提出する。素人のいいところは、こうして中途で発表が可能なことである。いや悪いところかもしれない。
『野守』
ひとつの塚の前である。
苔で出来たような衣といえば山伏のものであるが、その袂が苔に宿るごとき露で濡れしたたって、悟りの玉のようだ。
「わたしは出羽の羽黒山から来た山伏ですが、大峰や葛城に参ったことがなく、この度は大和の国へと急いでおります」
と、こう言う自分はこの間より鹿(か)島の神に宿が借(か)りられるよう祈りながら、そう鹿島の旅の神に祈りつつ、しかし結局は野山を行って野宿をし、夜は遅く眠り、朝は早く起きてそれに慣れ、床で寝たいなどとも思わなくなって、西へ移る月影の下で雁(かり)の音を聞きつつ仮(かり)の眠りを取り、あしびきのと来れば山であるが、同じ音を持つ大和の国に着いたのであった。大和に着いたのだ。
「急ぎましたので大和の春日の里に早くも着きました。人の来るのを待って、このあたりの名所を尋ねてみようと思います」
すると、誰かの声がする。
「『春日にある飛火野(とぶひ)の番人が外へ出ていれば、いつから若菜が摘めるのか思わず聞いてしまうものだ』と古今集にもある通りだ」
と、ここに出てきた者はと言えば、この春日野で長い時を過ごし、山にも里にも行って野を見張る老いた男であります。ありがたいこと、春日明神が仏の名として慈悲萬行と呼ばれるごとく、春は恵み深い色どり。三笠山ものどかで、秋は五重唯識という教えのようなありがたい風が里に吹く。まことに御利益もあらたかで、神の御心のままに参詣に行ったり来たりするわたしの歩みも重なれば、この身の老いの坂(さか)は増し、栄(さか)える明神の徳をあおぐばかり。
「この春日興福寺の名声は中国にまで伝わり、昔安倍仲麻呂が、かつてあの仲麻呂が、かの地で我が日本に思いをはせて『天の原を振り返ってみれば』と眺めたのが、三笠山にかかる月だ。それは中国明州でのことであったが、ここは奈良の都のまさに春日の、のどかな光景。まことにのどかなこと」
老人が言い終えるので、山伏は問う。
「もし、そこの御老人にお尋ねしたいことが」
「なんでございましょう」
「あなたはこの土地の人かな」
「そう、春日野の野守でございます」
「野守でいらっしゃるならお尋ねしますが、ここにいわくのありそうなたまり水がありますが、名のある水ですか」
そう聞くと、老人は答える。
「これこそ野守の鏡という水です」
「それは面白い。野守の鏡とは。一体どういうことなのでしょう」
「わたしどものような野の番人が朝晩姿を映しますために、野守の鏡と申すので。また本当の野守の鏡とは、かつて鬼神が持った鏡だと聞き及んでおります」
「なぜ鬼神が持っていた鏡を野守の鏡と?」
すると老人は言う。
「昔、この野に鬼がおりましたが、昼は人間になってこの野を守り、夜は鬼となってそこの塚に住んでいたといいます。野を守る鬼の持っていた鏡であるから、野守の鏡というわけで」
「いわれを聞けば面白いこと。つまりこの野に住んでいた鬼の持ったものを野守の鏡と言い……」
「また野守が姿を映すので、たまり水のことを野守の鏡ともいうので」
「どちらの説もいわれのあることなのですね」
「いずれにしても、野守という言葉は昔も今も歌の世界で」
「変わることがない、と」
そこで老人は言う。
「これをご覧なさい」
と、老人が水に歩み寄れば、まさしく野守の水鏡、これこそ野守の水鏡、今も姿を映してこれほどまで、まことの清水のごとく増した老いの泡(あわ)があわれげに立っている。かつてそこに見た若い自分が恋しいことだ。いやいやいくら追憶に浸っても甲斐のないこと。『野守の鏡を手に入れて、あの人の気持ちを知りたい』と詠まれた時代もずいぶん古い、昔の物語なのである。
「御老人、申し上げたいことが。『はし鷹の野守の鏡』と詠まれたのも、この水のことでしょうか」
「その通り。この水についてのことです。語ってお聞かせしましょう」
「是非お語りください」
老人は山伏の前に座って話し出す。
「昔、この野で帝が狩をなさいました折、お鷹を見失われました。あちこちお探しになると、一人の野守に出会われたのです。老人、鷹の行方を知っているかとお聞きになると、その翁は言うのです。はい、この水の底にいるでしょうと。狩人たちがぱっと寄って見てみると、なんとまことに水の底に」
いることを知(し)る白(しら)班の鷹。腹にまだらの白班のはし鷹がいる。よくよく見れば、水に映っているのは真上の木の枝。そこに鷹がいたのだった。『はし鷹をそうやって映したという野守の鏡があれば、あの人の気持ちをそっと見てみるのに』と古今集にあるのも、この鷹を映したゆえである。
「まことにありがたい御代で、狩をなさることも多い帝のこと、春日の飛火野の野守もお狩り場に居合わせて、そのお心にかかることもあったのだが、昔の思い出話を申し上げれば涙がとまりません、話せば涙があふれます」
老人はそこまで話して黙り込む。
山伏は問いかける。
「まさにいにしえのお話。聞くほどに本当の野守の鏡というものが見たいもので。どうぞ見せてください」
「思いもよらないことを。それは鬼神の鏡なのですから、どうやって見せることが出来ましょう」
「それならば鏡のある場所をうかがいたいもので。あなたは春日野の」
「野守は確かにわたし」
「鏡を見せないなどと」
「いうわけがないと」
疑われるのですね。鬼の持った鏡ですから、見ればおそろしくなるでしょう。本物の鏡を見ることなど叶うまじきこと、真っ白の鷹を見た水鏡の方をご覧なさいと、老人は塚の中に入ってしまう、入ってしまったのだった。
このような珍しくもありがたいことに出会うのも、ひとえに修業をしてきた功徳だと思い、その気持ちを頼りにして鬼神の住みつく塚の前で山伏は、肝が砕けるほどの祈りを捧げたのだった。
「長い年月、修業の徳を積んできた。その法力が本当ならば鬼神の明鏡を出現させ、わたしに奇跡をお見せください。南無帰依仏」
そう唱え始めれば、塚の中で言う者がある。
「ありがたいこと。天地を動かし、鬼神をも感嘆させるという歌の力のごとく」
土も砂も山河も草木も。
「すべてが成仏出来るという仏法の滋味に導かれ」
『鬼神がよこしまであることはない』との言葉があるように、その道に曇りなどなく、野守の鏡もまた曇りなく現れたのだ。
鬼神もまた出現する。
山伏は言う。
「恐ろしい。鏡の表面に火が散り輝くように映る鬼神の目の光。顔を向けることも出来ない」
それほど恐れなさるなら帰ろうと、鬼神は塚に戻りかける。
「いや、鬼神よ、お待ちください。まだ夜更け過ぎで、寅の刻の鐘が鳴ったばかり」
「寅の刻か。虎が隠れているかのような野を守るこの鏡」
「仏法の力をもって、その鏡にあたりをお映しください」
と山伏はなおも数珠を押し揉み、唱える。
「大峰山の雲を下にし、大峰の雲をしのぎ、長い年月の修業の功を積むこと千日余り。身も命も惜しまず、仏のために休む間もなく実を採り、水を汲む。第一には矜羯羅(こんがら)童子、第二に制多迦(せいたか)童子、さらに倶利迦羅竜王、または七大葛城、八大大峰の金剛童子たちよ」
と祈祷は続く。
「東方には」
と山伏が唱えれば、鬼神は鏡を向けて答える。
「東方には降三世明王が鏡に映り」
また南方西方北方へ向ければ。
「四方八方曇りなく」
天へ向ければ。
「衆生の輪廻する三界までくまなく」
さてまたこうして大地へ向けるなら。
「なにより地獄道」
そう、鏡は地獄のありさまを映す八丈の大きさの、閻魔のそれとなって、過去の罪の軽重をはかり、罪人を責めさいなみ、鉄の杖でさんざんに打つ姿まで、ことごとく映すのだ。
「だからこそ、この明鏡は鬼神がよこしまな生き方を正す宝。さて俺は地獄に帰るぞ」
と鬼神はどしんと大地を踏みならし、大地をがばりと踏み破って、奈落の底へと入っていったのである。