2024年9月、安藤礼二氏に招かれて吉野へ行き、そこで秘められた名所など数々訪ねつつ、私はあれこれ思いつくままにしゃべったのだが、その途中で話を『群像』で緊急にまとめると聞き、それならば自分でも足を踏み入れた国栖、その小さな土地を舞台とする能の現代語訳をどうしても入れたいと思い立って、帰京して二日ほどで入稿した。
国栖は谷崎潤一郎の『吉野葛』にも出てくる重要な場所だし、あたりはどこかで私に中上健次の『熊野集』のことをしきりに思い出させた。
そういう磁場を訪ね歩いた晴天の日の熱気が唐突な翻訳を生んだということになるだろうか。
『国栖(くず)』
思いもよらず皇居から出ることになってしまった春の夜。月のように美しい都が名残惜しい。
と嘆く、数人の声が山の中でする。
「道が正しく行われるなら、飛騨の位(くらい)山と言うのではないが、この御方の位は帝王へと」
「のぼらないはずもないのだが。今はただただ神にお頼みしよう」
ということは、男たちはやんごとなき方に仕える者であろうか。
「ここにおわすのは、神の風が爽やかに吹く五十鈴川、すなわち天照大神(あまてらすおおみかみ)の古くからの血統の末である身(み)の、御裳濯(みもすそ)川とも呼ばれる流れの中にいるような、いかにも清(きよ)い浄御原(きよみはら)の天皇でありますぞ」
やはりそうだ。彼らは侍臣なのだ。
続いて御輿を担ぐ者の一人が言う。
この君は御譲位によって天皇の御位をお受けになるべきところ、御伯父である大友皇子(おおとものみこ)に襲われ給い、都から遠い片田舎の慣れない山野を、草木の露に濡れながら道の果てまで落ちておられるのだが、これも御行幸と思えばたのもしいことだ。
すると、もう一人もこう言い出す。
「我が身に飽(あき)き飽きしながら宇陀の秋(あき)山を越え、そこにある帝たちの狩猟場をよそ目に見て」
牡鹿たちが伏す春日山、ああ牡鹿の群れる春日山を出て、春日の三笠(みかさ)ではないが水(みず)かさを増させる春の雨の、その音はどこから聞こえるのかといえば吉野川で、しばらくの間は吉野だけに花曇りであろうが、春の夜の月はやがて雲の上、皇居へお帰りになるに決まっている。その望みを懸(か)け、玉の御輿を舁(か)くのだ。望みを懸けて、御輿を舁くのである。
と進むうち、侍臣が天皇にお伝え申し上げる。
「どことも知れない山中にお着きになりました。しばらくここでお休みなさいますよう」
みなは腰を下ろす。
やがて、小さな舟が見えてくるが、男たちはまだ気づいていない。
二人の老いた者が乗っている。
一人は棹を使い、一人は釣り竿を右肩に乗せており、夫婦のようだ。
翁の方が言う。
「ばあさん、ごらんなさい」
「どういたしました」
「この老いぼれのあばら屋の上に、見たこともない星が輝くのを拝みなすったか」
「どのあたりでございますか」
「あの森の梢のところに見えていますぞ」
「いや本当に、あのあたりに紫の雲がたなびいて、ただごとではない様子で」
「おお、ただごとではない雲だ。そういえば、天子のいらっしゃるところにめでたい雲が立つと言うが、それにしてもこんな老人どもの住まいに」
「そのような貴人がいらっしゃるものでしょうか」
と、舟を岸に漕ぎ止めて我が家へ向かい、見てみれば謎めいたことだが、思っていた通りあばら屋の前に、金銀珠玉をつけた冠をかぶっておられる方がおいでになり、お召しになった直衣(のうし)の袖は、
「露や霜に濡れておいでだけれど」
「さすがにまぎれもなく」
「貴い御様子」
浄御原の天皇でいらっしゃるとはのちに思い知(し)ったが、老翁は白(しら)波の上に竿を置き、
「これほど賤しい、柴(しば)で作ったあばら屋が、しばしの御在所になるとは、定めのない世の習いとはいえ、不思議であるぞ、この世にはまことに不思議なことがあるものです」
と言うと、侍臣たちの方を向いて尋ねる。
「さて、これはいったいどういうことでございますか」
侍臣は答える。
「この御方は浄御原の天皇であらせられるが、大友皇子にお襲われになり、ここまで落ちておいでになったのです。すべてを御老人にお頼りになるおつもりとのこと」
翁は迷いなく述べる。
「謹んでお受け申し上げます。ここはこの老いぼれの家でございますので、見苦しいところではありますが、いつまでもおいでくださいませ」
すると侍臣はこう言う。
「もし御老人、面目もないことなのですが、こちらの君は二、三日、何もお食事をなさっていないのです。どんなものでもけっこうですから、どうぞお食事を差し上げてください」
「妻にそのことを伝えましょう」
翁は媼に言う。
「ばあさんや、こちらにいらっしゃるのは、おそれおおくも浄御原の天皇さまであられる。大友皇子に襲われなさり、ここまで落ちておいでになられた。なんと驚きあきれるようなことではないですか。そしてこの二、三日何もお食べになっていないのだそうで、どんなものでもよいから、お食事を差し上げよとのこと」
「ならば、ちょうどここに摘んだばかりの根芹があります」
「おお、それこそいいお召し上がり物ですな。わしも国栖(くず)でとれた魚を一匹持っておりますので、これをお食事に差し上げましょう」
媼はあまりのおそれおおさに胸を騒がせつつ、沢に生(お)い茂った根芹の若(わか)菜を、老(お)いた身ながら心を若(わか)やがせて取りそろえ、お召し上がり物に差し上げたのであった。
ゆえにこそ、吉野川を『菜摘の川』とも呼ぶわけである。
さらに老夫婦はこう申し上げた。
「わしも今日釣った鮎を、色濃き紅葉を林間に焚きというような詩が白楽天にあるように」
「このような君に差し上げられるありがたさの中で、焼き」
お食事として供えたのであった。『吉野の国栖』という宮中での行事も、この御代から始まったことだという。美味とされる蓴菜(じゅんさい)の吸い物やスズキも、これらの食べ物にどうしてまさることがあろうか。
「さて御老人、間近く参れ、さあ御老人」
侍臣がそう言う。
「ご老人よ、このお食事の残りをそなたにくださるとの君の仰せでありますぞ」
「いやもったいないこと。では魚をひっくり返していただきましょう」
「ふむ、ひっくり返していただくとはどういうことで」
「そうすることが国栖魚の習わしとされているのでございます」
と言って翁は立ち上がり、媼に語りかける。
「ばあさんや」
「何事でありましょう」
「これはお召し上がり物の残りだが、わしにくださるとの仰せ。ごらんなさい、魚はまだ生き生きとしておりますぞ」
「本当に。まだ生き生きとしています」
「さあ、これを吉野川に放してみよう」
「ばかげたことをおっしゃいますな。放したところで生き返るはずもない」
「いやいや」
と翁は言った。
「昔もそんなためしがあったのだ。神功皇后が新羅を平定なさったとき、戦の吉凶の占いのため、玉島川に釣り糸をお垂れになり、鮎をお釣りになった。同じようにこちらの君も、再び都にお帰りになれるなら、その兆しとして魚は生き返るであろう」
そして翁が岩の間をたぎる水へと魚の残りを放せば、岩を切る流れへと放せば、あれほど急な早瀬の先であるのに、あれ見(み)よ、み吉野で吉凶をあらわす鮎はおのずから生き返(かえ)り、君が帰(かえ)る姿を写したのであった。
「これこそ国栖の占い。頼もしくお思いになられませ」
ところが、そこで侍臣が気づく。
「ああなんと、追手がやって来てしまいました」
翁は驚く。
「追手が来たと?」
「そうでございます」
「ばあさん、少しの間、この舟の下に君をお隠ししましょう」
そう言って翁は舟を伏せ、浄御原の天皇をその中へとお隠し申し上げる。
川の流れの音は増しに増す。
そこに追手が入ってくる。
「やらんぞやらんぞ」
「どこへもやらん」
「や、これはどうしたことだ」
「何があったのだ」
「この山の麓までは追いかけてきたが、どこかへ見失ってしまった」
「山に次ぐ山、谷だらけゆえに見失ったのだな」
「まずここまで来なされ」
「わかった」
「まったくどこへいったものか」
「その通り、どこであろう」
追手はそこで老人を見つける。
「やあ、ここにじいさんがいる。尋ねてみよう」
「やいじいさん、浄御原の天皇の行方を知らないか」
「なに、『清み祓(ばら)い』? 身の穢れを清めるやつじゃな。それならあの川下でやれ」
「おいこら、老いぼれていい加減なことを言うものだ」
「もしかすると耳が遠いのかもしれない。今度はもうちょっと大きな声で聞いてみたらいい」
「承知した」
追手は声を大きくして問い直す。
「なあじいさん、浄御原の天皇の行方を知らんか」
「浄御原の天皇? 天皇だろうと誰だろうと、何をしにここまで来(き)たんだ、浄(きよ)御原まで。まったく聞きなれない人の名よ。そもそもこの山は天界のひとつ兜率天の内院ともたとえられ」
媼も重ねる。
「または日本の聖地五台山、いわゆる清涼(しょうりょう)山として唐土(もろこし)の地までも」
「遠く続いている吉野山であり、隠れ場所の限りないところだ。それをどこまで尋ねるおつもりかな。もはやこれまでだ、帰られよ」
追手たちは説得されかかり、
「いやまったく、ほんとにあのじいさんの言われる通り、どこもあてがないんじゃ尋ねることも出来ない。さあ戻ろう」
「それがいい」
「そうだそうだ」
だが、一人がこう言う。
「ちょっと待て」
「何事だ」
「見れば、あそこに舟が伏せてある。あの下がどうも怪しいぞ。聞いてみよう」
「なあじいさん、その舟はなんでうつむけて置かれてあるんだ? その下が納得いかん。捜してみよう」
翁はすぐに答える。
「なんだ、この舟の中を捜そうと言うのか」
「もちろんそうだ」
「これは乾かしているところだ」
「乾かしていようが納得いかんのだ。そこをおどきなさい」
他の追手が足を踏み鳴らし、両刃のついた鉾を構え、弓に矢をつがえて威嚇する中、
「舟を調べる」
と追手の一人はそこに近づく。
翁はたちまち一喝した。
「わしはこのあたりで漁をして世を渡る者だ。漁師の身であれば、舟を捜されるのは家に踏み込まれるのと同じ。身分は賤しいと思うだろうが、あたりでは恐れられている者だぞ。孫もいれば曾孫も大勢ある。さあ、その谷この谷、峰々から皆の者、出てきてこの狼藉者を討っていただこう。討ち留めておくれ、さあ」
追手たちは肝を冷やし、
「ああ、そんな風に大声でおっしゃるな。我々は戻るから」
「いやその」
「どうした」
「こういうところに長居は無用、早く戻ろう」
「それがいいだろう」
「さあさあ来たまえ来たまえ」
「行く行く」
「こっちへ来なされ」
「そうだ、そうだ」
こうして追手が消えたあと、翁と媼は隠れていたみなに語りかける。
「さあお聞きください。追手の武士どもは帰りましたぞ」
これこの通り、と翁と媼は示して力を振りしぼり、えいやっと声を上げて、舟を引き起こし、ぐったりとお弱りになった尊い玉体を船からお出し申し上げ、櫂(かい)はあっても甲斐(かい)のない御命(おんいのち)になってしまうところをお助かりになられたこと、喜び申し上げる。
侍臣たちはその翁と媼を褒め称える。
「そもそも『君は舟、臣は水』と言い、水が舟を浮かべるように臣は君をお支えするものだが、この翁の忠節にかなうものはあるまい」
「ありがたいことだ、このように姿は下々の者だけれど」
「心根は気高(けだか)く、高(たか)い知略で、まことに身分の貴賤にはよらないものであったぞ」
「我が君は前世の十種の善の果報によって」
このような貴人にお生まれになった身(み)で、御(み)裳濯川の流れのように尊く清らかであり、濁った世には住むことがお出来にならない。
「したがって、君として民を守り育てるはずであるのに、反対に助けられてしまわれた」
すると、そこで浄御原の天皇は老人夫婦にお言葉をかけられる。
「これでは十種の善の果報を受けた甲斐(かい)もなく、櫂(かい)のない一艘の舟のようだが、行く末はついに天子の位へと帰ること、都に帰ること以外にはあり得ないのだ。この地は都ではないが、同じ秋津島、日本である。もし世の中が治まれば命の恩に報いよう」
君のこのお言葉を肝に銘じ、翁と媼はありがたさに涙を流した。
そのうちに夜は更け、静まり、おそろしい寂しさである。これまでの君の御心労を、さてどのようにお慰め申そうかと老人たちは思う。いやそうだ、そもそもここは月も雪も見(み)れば美しいみ(み)吉野であり、三(み)つ目の桜はなによりで、鳥も鳴くではないか。
やがてその色や声は、管弦の糸を縒(よ)るような妙なる音の調べとなって聞こえ始め、また響く琴の音(ね)には『峯の松風通(かよ)うらし』と歌われた通りに風が響き、天から乙女が降りてきて、袖を返して舞い出す。
のちの『五節(ごせつ)の舞』の初めがこれであろう。
ふと気づけば、翁も媼も消えている。
だがかわりに出現するものがある。
まずあの乙女、天からの乙女子が、渡来の玉を手に持ってあらわれ、玉のように美しい琴の音にひかれて舞っていると、奏でられる音楽によって神々も来臨し、吉野の山の勝手八所(かってはっしょ)という場所に鎮座し、籠(こ)もっている神々、そしてまた木守(こもり)の神がその眷族をつとめる蔵王権現もついに姿をあらわそうとする。
蔵王とは、まさしく王を蔵(かく)すという意味であり、吉野山に天子をお隠し申し上げた蔵王権現は、今ここにその御姿を顕現させる、今ここに御姿を顕わす。
天を指す手は。
「胎蔵界をあらわし」
また地を指す手は。
「金剛界をあらわし」
宝玉の上に立って、片足を下界に下げ、東西南北十方(じっぽう)世界の空を飛び回り、普天、率土(そっと)、すなわちあまねく天の覆う陸の果てまで、どこであれ天子を軽んじてよかろうはずもないと、最大の力を地上にもたらし、曲った国を改めさせ、治まる御代は天武天皇の聖なる世となり、我々はそのありがたい恵みを新たにした。
その奇跡はこの上もないのである。
(「群像」2024年11月号/小特集「吉野と文学」より)
*今回のアップ時に少し手を入れました
