天皇のお言葉から想い描いたこと | 愛と幸せを引き寄せる「片づけの波動」セラピー

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書いてよいものやら、迷いましたが

気になったことを記載します。

 

 

 

国民の多くは、天皇陛下が日々何をされているのか

ニュースで配信される行為しか分かりません。

しかし、もっとも大切なのは、日々の神事です。

 

 

 

親は、定年退職をした時に

「もう、働かない。」

そう静かに言いました。

 

 

ほぼ同じお年の陛下が、定年がないお立場にいる。

それを、国民は大変だと思っているのだと思います。

 

 

 

 

 

天皇がいつも気にされている

『国民のために』

 

 

 

これは、天照大神さまと、お心を一つにされているからなのです。

 

 

日本を守るために、天照大神さまは居り

伊勢神宮は、国運を上げるために

20年に1回、式年遷宮をするのです。

 

 

国運を担っている

それが、天皇陛下のもっとも重い役目です。

 

 

 

 

神事の一つですが

お食事を、天照大神さまとお二人だけでとる

というのがあります。

 

 

そのために、数週間、足を慣らすために

正座をされる練習をされるのだとか。

 

 

失礼のないように

こころを、足のしびれなどに奪われないように

そう思ってのことだと思うのです。

 

 

 

 

膝を曲げるのは、年をとると不自由になります。

ご年配でしたら、たぶん多くの方がお分かりだと思います。

膝に水が溜まる方も、数多くいらっしゃいますよね。

 

 

震災のお見舞いでは

行く先々で、

同じ避難所でも、人が変わる度に、

膝を折られていました。

 

 

若い人でも、立ったり座ったりは

かなりの重労働。

 

 

 

 

 

陛下がお話されていた中で

ハッとしたのは、この言葉でした。

 

 

『天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、

これまでにも見られたように、社会が停滞し、

国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。』

 

 

 

額面通りとれば

国も葬祭関係で、いろいろと混乱するだろうし

だから国民にも影響が及ぶ。

 

ということなのでしょうけれど

 

 

 

もう一つ頭に浮かんだのは

 

《自分が亡くなったことで

国に、国民に、何か重大なことが起きてはいけない》

 

 

 

日々の神事が、こころを込めて出来ない状態になりはしないだろうかと。

そんな想いを受け取ったのです。

 

 

 

ご病気で、重責を果たせなかった時に

なにか、心に引っ掛かる出来事が起きていたのかもしれない。

 

 

そんな気がしました。

取り越し苦労でしたらいいのですが。。。

 

 

 

3種の神器

鏡  ・・・  伊勢神宮

剣  ・・・  熱田神宮

勾玉 ・・・  皇居

 

に祀られています。

 

以下に、お言葉の全文を記載します。

 

 


 

象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉(全文)

 戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、

ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、

この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。


 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、

どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、

現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、

私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 


 即位以来、私は国事行為を行うと共に、

日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、

日々模索しつつ過ごして来ました。

 

伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、

更に日々新たになる日本と世界の中にあって、

日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、

いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、

今日に至っています。

 


 そのような中、何年か前のことになりますが、

2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を

覚えるようになった頃から、これから先、従来のように

重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、

国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、

考えるようになりました。

既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、

次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、

全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、

難しくなるのではないかと案じています。

 


 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、

我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、

人々と共に過ごして来ました。

 

私はこれまで天皇の務めとして、

何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、

同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、

その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。

 

天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、

天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、

天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、

常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。

 

こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、

私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。

 

皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来た

ほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、

その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、

私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、

国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもって

なし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、

国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、

無理があろうと思われます。

 

また、天皇が未成年であったり、

重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、

天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。

しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる

務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで

天皇であり続けることに変わりはありません。


 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、

これまでにも見られたように、社会が停滞し、

国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。

 

更にこれまでの皇室のしきたりとして、

天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が

連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、

その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。

 

その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、

行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、

非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。

こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、

胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下、

天皇は国政に関する権能を有しません。

そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、

これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、

相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、

そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、

安定的に続いていくことをひとえに念じ、

ここに私の気持ちをお話しいたしました。 


 国民の理解を得られることを、切に願っています。