『膵腺房細胞癌の患者さんやその家族のために書きます。参考になればと思います。』
妻が辛そうにしてるとき、背中をさすってあげたいけど、吐き気があるから背中をさすることもできませんでした。
何もしてあげられない。
「お茶をガブガブ飲みたい。でも、入らない。」
そんなことも叶えてあげられない。
急激に状況は変わり、2階に上がることもできない。
酸素も外せなくなっていました。
日々、いろいろなことができなくなっていく。
必ず1日1回は入っていたお風呂にも入らなくなり、「お風呂、手伝ってもらわないといけないかも。」と弱音を吐いていました。
19日にに介護保険の申請に市役所に行き、当日職員の方が来てくれ、20日にはケアマネジャーさんが来てくれました。訪問看護の主治医の先生の予定もあり来てくれました。頑張って話過ぎて疲れたのかなと思うくらい息苦しそうでした。
昼休みに家に帰ったときも違和感はありました。
また、私の妹と親戚のおばさんがお見舞いに来てくれましたが、調子が悪そうなので、会うのは数分にしてもらいました。
「来るのはやめてって言ったよね。」
思わず怒ってしまいました。
そして、夜、ジクトールテープや強めの麻薬テープを貼るのを手伝いましたが、しんどそうでした。
なんだか妻の調子が気になって、眠れなくて、妻に「病院に行くか?」と何度か尋ねました。入院したら家に帰れなくなる不安もあると思います。がまんしているようでした。(後ほどの診察時に聞いたら、10段階で8か9の痛みだったそうです。しかし、苦しくても家にいたかったみたいです。)
0時くらいにオキノームを飲ませて様子を見ていましたが、全部吐いてしまいました。「病院に行こう。」「救急車呼ぼうか。」
「大ごとになるからいい。」
当初は車で行く準備をしていましたが、妻の様子を見て、再度確認しました。結果、救急車を呼びました。
緩和ケア科のある病院まで運んでもらうことにし、息子を起こし、私と一緒に車で向かいました。
病院に到着し、書類に記入しました。
先生に「家に帰れますか?」
家にいることを強く望んでいた妻のことを思い聞きました。
「腎臓の数値が悪化しています。帰ってもすぐに帰ることになります。」
「介護休暇は取れますか?」2回聞かれました。
前回は看護師さんからの言葉でしたが、今回は主治医の先生の言葉だったので、会社に言ってみることを決心しました。
もしもらえなかったら辞めようと決心しました。
7階の緩和ケア病棟に移動しました。
状況が悪いのかナースステーションの横の部屋でした。
「帰って、朝来るね。」
そう伝えて一旦帰宅しました。